急に
思い出した。
たぶん父の運転する車の後部座席で。
なんにもないことのように、祖母に
「ハッピー死んじゃったよ」と言われたこと。
その会話は「そういえばね」で始まってたかもしれない。
私も うん、そっか とただ受け入れる返事をしたと思う。
私の幼少期の記憶はすごく断片的だ。
でも こんな風にごく瞬間的な記憶が何かの拍子に鮮明に蘇る度、思い出さない と 忘れた は全然違うことなのだなと体で感じる。
ハッピーというのは、ハムスターだ。
ハッピーに関しても覚えていることは多くない。
今思えば、子供だった私の両手に乗せられるくらいの子だったのできっと小さかった。
名前を付けた人、私が家族と住んだ家に居た期間、誰がうちに譲ったんだっけ 結局どうして祖父母宅に行ったんだっけ
私はハッピー ばーちゃん家 行くよって
なって、ちょっと悲しかったんだっけ
覚えてない。
時間が経つほど、私の中で
過去の出来事たちは 時系列をなせない。
そして
「事実」をたどるより、「感情」をなぞることが
すごく難しい。
確証はないけれど ある一時期の私は 強い感情が
自分の中に生まれても、どこか自分事に捉えきらないように「大丈夫フィルター」のようなものを一枚、かけていたような気がする。
大人になった今、それがすりガラスのように
当時の気持ちを少し見えにくくしている。
ハッピーが来る前か来た後か、カラー写真付きの本を読んだ記憶がある。
ハムスターは繊細だから手から下ろすときは床にしっかり近づけてあげましょう おしりから 下ろして
なんとかかんとか
そんなことを読んだ。実践してあげられた自信はないけれど、当時の親戚や両親も 手に乗せてたり
餌をあげたり 名前を呼んだり なんとなく覚えている。
時々 大人の指を噛んでちょっと怒られてた。笑
動物は可愛い。夜中も一生懸命走って、走れば走るだけ回るおもちゃをずーっとカラカラ言わせて
人間の眠りを妨げて、忘れずにお水も飲んで。
そんな 小さな生き物、ハッピーがいたな
と、思い出したのだ。
動物は瞳が綺麗で、一生懸命生きていて、触れたら温かくて、すごく可愛い。
いつか心が通う動物と一緒に暮らしたい。
お世話をしながら聞いてもらう思い出話は、
幸せも それだけじゃない も 美しい色で描けていたら嬉しい。🎨🌳
───あとがき💐
家族、親戚を私から見た像と違うように
見られるのは嫌なので、野暮ですが補足するね。
祖母がなにごともないように さばっと言ってくれたのは幼い私への気遣いか、本当に祖母がさばっとした人かのどちらかです。笑
ケージを置いて、餌も買ってくれて さいごまで
お世話してくれてありがたかったな☘️*
最後まで読んでくれてありがとう。
💗🐑🐴🐕🐄🐈⬛︎°・*:.。.💋