みちのエビ
道にエビが落ちていた。
つるつるとちょうど近くの街灯に照らされてきれいにゆで上がった濃いさくら色が光っていた。
小エビなんだか車エビなんだか、あるいは茹でられたブラックタイガーなんだか私にはわからなかったが、家路を急ぐ足をはたと止めて一瞬私の心のすべてがそのエビに注がれる。
ずっと見ている訳にもいかないので、そのエビを写真に納めて後ろ髪を引かれながら何事も無かったような顔をして歩き出す。
昨晩はエビのことで頭がいっぱいだったので、最近会っている男の子への返事は忘れた。
誰が何のために持ち歩き、どうして落としてしまったのかもまあまあ関心がなくはないが、
そんなことよりエビがそこにいることが、自分のこの世に感じている謎にヒントをくれる気がしていた。
もしあのエビが本物のボイルエビで、サラダの上にのっていたら、私はきっとそれを気にも止めずに口へ運んで咀嚼した。
もしあのエビがおもちゃのエビで、幼い少年のおもちゃ箱に積まれていたら私はエビに出会わなかったし何とも思わなかった。
そして、それぞれに対して半分かそれ以上の人が「それはサラダです」「それはおもちゃです」と言っただろう。
でも、あの道の上に神々しく横たわったエビは誰がみても「エビ」としか思えず、少なくとも私の目も心も掴んで離さない。
本来ならいるべきでない似つかわしくないところにあることで、エビは自らのエビをむしろ引き出していた。自らがエビであることを全面に打ち出していた。
適材適所、向き不向き、私らしさ、本当のあたし。私たちってここではないどこかに自分がそれらしくいられる所があって、まだそこに辿り着いてないことにして今を嘆いてる。私らしくいられる居心地のいい場所を探し回ってる。
そこにいけば本当の自分が分かるって思ってる。
昨日のエビはたぶん海ん中か、少年に床に投げられてその母親に毎晩片付けられる方がよっぽど似合ってる。でも、エビは確かに道路脇に捨てられていてもエビだった。そして他のエビのどれよりも、私にとってはエビでしかなかった。
ここではないどこか、私らしくいられる場所。
それは案外、あまり居心地のいいところではなくって、それでも私が私でしかないことを新しく開いたり閉じたりしながら気がつくところなのかもしれない。
今日の帰り道、もう同じところにエビはいなかった。
湖