わたしの恋の忘れ方
2025年1月2日
まだ正月っ気をたっぷり含んだ街で私はひとり、いないはずの人を探した。冬は陽が傾くのが早くて、ビルの隙間に夕陽が漏れだして目がくらむ。反射した光が交差して街は金色に包まれた。私は急ぐ足をさらに速めた。
私の影が刻一刻と背を伸ばし、遅れないようについてくる。ふと顔をあげると街路樹の枝の筋には青いライトが徐々につき始めて、視界をゆっくりと埋めはじめる。
正月明けて間もないこの街には思ったよりも人が出ていた。オフィスビルを通り抜け、歩道橋を渡り、背の高い建物の合間をくぐり抜けるようにして小走りをするように歩く。冷えたコンクリートの道は体温を足元から奪おうとする。それでも私は少しずつ早まる速度を止められなくて息が上がってきた。
ビルの窓ガラスには生け垣越しの私の姿が移る。そして、またひとり見知らぬ人が映る。もしかしてと一応確認するけどやっぱり違った。
約束の時間などないのに勝手に急ぎ足になっていた。胸が詰まって少しだけ苦しかった。
久しぶりにあのカフェの前を通った。私こんなところで何やってんだろ、とちょっと笑いながら正月明けにしては混み合った店内をガラス窓越しに、横目で眺めた。
「もしかしたら来ているかも」
1%以下の可能性に期待を込めて。いや本当は期待などしていなくて、ただあの日のことを少し思い出したくなってガラス越しのあの席を見つめた。知らない家族が座っていた。もちろんいなかった、いるはずがなかった。
もうすぐ見えなくなる夕陽がまるで手を振るかのようにまっすぐ照らしてきた。まぶしくなって目を細めた。私何やってるんだろうね、と笑って見せた。
もう行こうと思ったその瞬間、ありきたりな曲しか流さなかったヘッドホンからあの曲が流れてきた。ちょっとやめてよ、私はにわかに驚きが隠せなかった。
精緻なアルゴリズムだろうが、何だろうが、さすがにタイミングが良すぎやしませんか?
穏やかで切なくてどこか寂し気なこの曲はあの声にぴったりだった。まるでシンデレラの足がガラスの靴にぴったりだったみたいに、君のために魔法でできた歌みたいだった。もうこの曲を何も考えずには聴けないな、今でも密かにそう思う。
カフェからの一本道には街路樹があって、あの日と同じイルミネーションが青色に輝いていた。あの日面白くないことを言ってちょっと笑ってたのが嬉しかったことを思い出した。あの日よりもまだ明るい今はまだイルミネーションの輝きが少し弱く寂しそうに見えた。
角を左に曲がって少し行った先に書店が見える。窓際のカフェのカウンター席には人がずらりと並んで座っている。こんな狭いスペースの中でくつろげるのだろうか、そんなことよりまた、いないはずの影を探している自分にがいる。本音を言うとさっきのカフェよりもこの本屋さんならまた会えるかもしれないと思っていた。だからさっきよりも丁寧に店内のカフェに並ぶ横顔をそれとなく眺めた。時々似ている人を見つけると、違うとわかったときにきゅうと一回だけ胸が痛む。たとえどれだけ似ていてもその人でないとダメなんだな、ごく当たり前でシンプルな真理にまさに今触れた。
色々なジャンルの本棚の通路をひとつひとつ丁寧に歩いた。あの日みた雑誌コーナーの雑誌は当たり前だけどすべて最新号に代わっていて、あの日はお菓子の特集が組まれていたのにおしゃれなインテリア特集に代わっていた。当たり前なことがやけに寂しかった。
あの日君にすすめた本はあえて探さなかった。その代わり、目についた本を何気なく手に取った。ページをめくる。何一つ胸に残る言葉は書かれていなかったけど、「片思いはやめとけ」といった内容がやけに胸に残ってまた苦笑いするしかなかった。これが今の私へのメッセージなのかも、そう思うしかない。
旅の本、小説、自己啓発、エッセイ、漫画。どのコーナーにもその姿はなくて、時々目が合ってしまった人の視線はかわした。ここで出会いたいのは今でもたったひとりだった。それ以上の思い出をこの書店で作る気はなかった。最後にもう一周だけ店内を歩いて、陽が落ちて暗くなりかけた街に再び歩き出した。
私ははっきりと君がこの街に、いや私の視界に現れることがないということを悟った。きっとずいぶん長く。ずっと、ね。
帰り路はなんだか疲れてしまってあんまり記憶がない。
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もし、今この瞬間君が目の前に現れたら、私はなんというのだろう。きっとなにも言葉が見つからなくて、姿が見えないよりももっと寂しいんだろうな。
片思いなど馬鹿馬鹿しいのならば、こんなことを考えることさえ無駄なのかもしれない。新しい恋を探しにアプリの中を数多の魚とすれ違うかの如く回遊するほうがよほど効率的で魅力的なことかもしれない。
それでも、一度好きになったものを忘れたり、嫌いになったりすることはそんなに簡単なことなんだろうか。似た魚の群れのどれでもなく、たったひとりを見つけ、束の間だけ海底を一緒に泳いだ記憶。それをそのまま洗い流してしまうことがそんなに偉いことなんだろうか。私はむしろふと振り返るときの感情、その鱗の輝きさえ食べつくして、ごちそうさまでしたと手を合わせるのが美しい所作なのではないかと思っている。
未練がましい女は嫌われるだ、イイ女は過去を振り返らないだのいう指南はさっさと荒波へと放ってしまおう。私は過ぎ去った記憶のかけらを、金色の街やブルーの道の上でひたすらシャッターを切ることで拾い集め、余韻を愉しんだ。ようやくやっと過去にすることができたのだ。人はそう短い間にスイッチ一つで簡単に忘れたり、振り切ったりすることはできない。
もし、今この瞬間できることがあるとすれば、私はこの感情を言葉にしたい。(だからこの文章が生まれた)誰に拾われるわけでもなく、ただだた広い海の上を垂れ流していたい。
きっとそれは君が私にくれた一つの喜び。
そしてこれは君なしで生きる大きな喜び。
湖