明日の朝は早いのだ
昨日の夜
夜22時。同じデスクの島の人たちは一人一人消えていき、気がつくとフロアで明かりが点いているのは私の周りだけだった。
もう遅い。帰らなければ。
そう思うのに私の身体が家路に向かわない。
明日のプレゼンは何としてでも私の実現したいことを伝えきりたいんだ。
普段なら疲労も限界なこの時間、今日は不思議と疲れを感じなかった。
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芽生えるなにか
社会人2年目。もうすぐ入社して丸2年。
私はとある会社の商品企画をしている。
入社した当初から業務の実践が求められ、一時は人からやらされているような気持ちにしかなれず、自分の不甲斐なさを痛感してただ苦しかった。訳もわからずよく涙が流れた。
明日プレゼンがあるこの商品担当としての仕事も、最初はあまりやる気を持てなかった。特に影響力のある商品ではないし、いずれなくなるくらいに思っていた。
それが少しずつ変わって、今や私にとってかけがえないモノそして自分の役割に変わっていた。
何が私の気持ちを変えたのか。
承認欲求とか出世欲とかそういうんじゃないと思う。仕事好きとかただの責任感とも少し違う。
確実に私の中に芽生えているもの。
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働くって一体
『ワークライフバランス』
『働き方改革』
今までの残業体質ニッポンを変えるべく、政府は政策提言。会社は社員や株主に嫌われないよう必死で制度づくり。
社員たちも悪しき労働をなるべく短くしようと努力する反面、仕事の量はさほど変わらずAIやロボットが完全に補ってくれる世の中は当分先だろう。
そういう世の中で『働くこと』、それ自体に価値を見いだすことが難しくなってきているのではないだろうか。私たちにとって労働は生活のため、余暇の楽しみのために我慢すべき苦行なのだろうか。苦しい労働は技術によって取り除かれ、本当に人間がすべき労働だけが残る。そんなユートピアが存在するのだろうか。
そもそも『人間がすべき労働』とは?
今日の朝、電車に揺られて
朝8時半、電車はいつもの如く満員だ。今日は雨なので窓が曇っている。結露で曇った車窓の景色。この橋を渡るともうそろそろ駅に着く合図。いつもの川は相変わらず広くて穏やかだ。
働くって何だ。やりがいって何なんだ。
そんなものの答えが今の私には分かるわけがなかった。きっとこの号車内にいる人に聞いてみても、全員から違う答えが返ってくるに違いない。
誰一人として同じ仕事をしている人はいないし、終わればみんな違う場所に帰っていく。
だから私の答えを知っている人などいなくて当然だ。
何一つとして確からしいものが掴めないまま。
それでも、確かに私の中に芽生えているもの。
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生まれた喜び
秋雨の降る寒い朝に、胸の中が踊り少し体温が上がる感じ。窓越しの白くぼやけた景色さえ温かみを感じる気持ち。祈るように窓の外の遠くを見つめる緊張感。
仕事を1つ終え、同期たちとテキトウに選んだ居酒屋で笑い転げる水曜の夜。折り返し地点を終えて残りの平日をおもう帰りの列車内。
うまく言えない、表せないけど私の中に生まれた喜び。
帰り道のコンビニアイスくらいには誰にでも手に入るこのシアワセが今の私には嬉しかった。
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ジンセイとは
『QOL』『やりがい』
そういう言葉は街に溢れているけど、今日私が感じた胸の高鳴りも悔しさも明日への少しの憂いも、
誰も知らない。私にしかわからないものだ。
明日も、明後日も、その先も、
生きとし生けるもの約束されている未来などない。人はなぜ生きるのだろうか。
今日の夜、帰路にて
夜10時半、お酒を飲んだ帰りの電車内、
明日の朝の目覚ましを1つ追加した。
人生の意味など知りたくもないが、人生ってちょっといいなって思った。こういう決まりきらない喜びさえジンセイの中に入っていてもいいってことは、過去の自分にとって想像していなかった未来だ。
湖