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①わたしの過去。【不登校時代】

こんばんは🌛まりしゅです!
唐突ですが、これから私のことを赤裸々に書いていこう思います。

これを見て、読んでくれてる方に少しでも元気になったり励みになれたら嬉しいです。

~地獄の学生時代のはじまり~

始まりは小学校のとき。
実は私の小学校時代、ほぼ学校行ってません。
いや、学校には行ってました。

私の唯一の居場所は保健室。

小学校1年生~4年生までのほとんどを保健室で過ごしていました。

そうなった原因は、

同級生と担任からの いじめ です。

私が小学校入学したのは2005年。
現在ほど『いじめ』について騒がれていない時代。

いじめの内容(未だに覚えているもの)は、
・上履きや外靴を隠される
・自分の物(教科書やノート)が無くなるのは当たり前
・トイレまで付きまとわれる、覗かれる
・同級生、担任から無視されるのも当たり前
・担任の先生から別の教室に呼び出され、施錠され皆が居ないところでの暴力と暴言
…………などなど。
今考えたら本当におかしいこと。
あってはいけない出来事だと思う。
でも、その中で保健室に登校できていた理由があります。

~唯一の心の拠り所~

私が唯一、小学校へ行く目的だったのは
『給食』でした。

これは将来の夢になるきっかけでもありました。
食べることが大好きで、特に給食室から漂ういい香りと入口に貼ってある献立表を眺めるのが日課でした。

そこで出会ったのは、給食を作っている・考えている人『管理栄養士』という存在。
保健室の先生と管理栄養士の方とは、その頃から友達のようにお昼休みにお話していました。
もちろん教室には怖くて行けないので、
〝給食を食べたら帰る〟を繰り返していました。

私の小学校4年生までの記憶はここだけです。

~ いじめ がなくなったきっかけ~

実は学生時代に休んだのはこの4年間だけで、

中学・高校・大学は
〝無遅刻・無欠席・無早退〟でした!😂

何故 いじめ がなくなったのか(されなくなったのか)
きっかけは本当に単純で、足が速かったから。😅
本当に、本当にこんな事でなくなるのかよ!って
今思えばこんな理不尽な…と。

小学校5年生の時に全地域小学校の運動会、
(いろんな小学生5年生が集まる運動会)というのがあり、その中の100m走で 7位 という速さでなんと生まれて初めて全校生徒の前で表彰されました…😂
これがきっかけかどうかわかりませんが、その日以降 私の周りの状況はガラッと変わりました。

~今、自分が思うこと~

このお話は今からちょうど20年前です。
『今』だからこそ言えることは、いじめ の標的だったからこそ、人の痛みが誰よりも分かるということ。

『言葉や行動が凶器に変わる』

ということ。

学校という『場所』が怖くて不登校になった時に、私の両親は無理に登校させることはしませんでした。
無理に登校させることより、ずっと強く言われていた言葉があります。

『口に出したことは消せない』

当時は理解していなかったのですが、中学・高校・大学へ進学する度にその言葉の意味がわかるようになりました。

叩かれたら、叩いた側も痛い。
(お互いに痛みがわかる)
けど、
言葉は受け取り手側にしかわからない痛みがある。

そして言った側は悪気がなくてもあったとしても忘れる。
言われた側はずっと

『心の傷』

としてその人に一生残る。
それは傍からは見えない傷になって。

少し話が逸れましたが、私はその時から『言葉』には特に気をつけるようになりました。
そして今思えば いじめ は私にとって、良い言い方をすれば『いい経験をさせてくれてありがとう』と。

決して、私も忘れたわけではないです。
きっとこの経験は一生忘れない、消せない記憶になります。
でも、そこから学べた事もありました。

今は私の傍に居てくれる人(旦那くんや母と妹、学生時代の友達、趣味で繋がってくれた友達など)がいることに日々幸せと感謝しかないです。✨️

最後に…………

長々とここまで読んでくださった方
本当に、本当にありがとうございます!!!
今の私は最高に幸せです🥰✨️✨️✨️

この長文を少しでも覗いてくれた方、読んでくれた方に少しでも励めになりますように…!!
皆さんに幸あれ〜〜〜〜〜〜!(๑>◡<)ノ"

今後も少しずつですが、明るい話も含めて私自身のことや思い出など共有できたらと思います😆

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