訪問看護師は、遠い親戚みたいな人。
「体調はいかがですか?」
利用者さんへの訪問は、いつもそんな一言から始まる。
「変わりないよ」と笑顔が返ってくることもあるし、「いつも調子悪い」と、話しかけないでと言わんばかりのしかめ面が返ってくることもある。
私たち看護師ができることなんて、たかが知れている。
「苦しい」「痛い」と言われて、苦痛を和らげてあげられる方が珍しい。
私たちは、ただ話を聞き、寄り添うだけ。
何もできない自分に嫌気が差すことなんて日常茶飯事だ。
それでも、約15年看護師を続けてきて思うことがある。
私たちができることは少ないけれど、何もできないわけじゃないということ。
「寄り添う」ことは、間違いなく価値がある。
病気や障害、老化から生まれる苦痛を、西洋医学のみで和らげるのには限界がある。
つまり、「苦しみ」や「痛み」と共存しなければいけないということ。
そんな毎日の中で、1人で苦しみや痛みと向き合っていたらどうだろう。
誰もわかってくれない・・・。
そう思った時、人は心から絶望するんじゃないだろうか。
とにかく、目の前の人に「寄り添う」。
「苦しさ」を、「痛み」を、「辛さ」を。
打ち明けてもらえる存在になる。
冷たく聞こえるかもしれないけれど、あくまでも、病気も障害も老化も、その人の人生だ。
自分は何もできないことを自覚する。
でも、決して何もできないことを悲観しない。
「1人じゃないですよ、私たちがいます」
直接、声には出さないけれど、そんな気持ちで目の前の人と向き合う。
いつも気にかけてくれる、遠い親戚みたいな。
家族より少し遠くて、友人より少し近い。
そんな立ち位置で、私たちは今日も利用者さんに会いに行く。
訪問看護の仕事は、愛に溢れている。