おかえりモネしんどすぎて何も喉に通りません
おかえりモネが今めちゃくちゃしんどい。
7:30モネし、8:00モネし、Twitterでモネの考察読みまくり、たまに昼モネし、寝る前にセルフおかわりモネをすることもある。つまり一日中モネである。土日はようやく解き放たれるかと思ったら、予告モネをしているのでもはや抜け出せそうにない。母とは映画やドラマの作品の感想を毎日語り合っているのだが、もっぱらモネ続きである。モネモネモネ。ネモネモネモ。「礼」を一瞬モネ?と読みそうになるくらい最近キている。モネモネ。
G線上の眞於先生に誕生日メールがいっぱい来るシーンで殺されかけたことのある私は、安達奈緒子先生が朝ドラを書くと聞いて見ねばならぬと決意を固めていた。しかも永瀬廉くんも出るということで期待度MAXで初回を迎えたわけだが、最初は静かな朝ドラだなあと思っていた。激動をチャキチャキとテンポよく進む系朝ドラではなく、何十秒もモネちゃんのドアップで画を持たせるような、静かでおだやかな、天然水みたいな気持ちのいい朝ドラだなあと。でも一方で、疎外感のような傷ついているような、おだやかという形容詞に反する、熱い何か、違和感?のようなものを箇所箇所で感じていた。
この違和感は後々回収される。
おかえりモネは珍しい構成をとっている朝ドラだ。中盤くらいに大きな出来事が起きて、それを乗り越えて結末、みたいなストーリーが多いのに対し、モネは大きな出来事(震災)が起きてからしばらくしたところをスタートラインにしている。特段大きな説明もなく、彼らの日常が続いていく中で、一人一人の震災が起きた時の状況、何を思っているのか、何を悔いているのか、をそっと描く。彼らが口に出して震災の回想話をする、というよりは、電話帳には女性の名前で登録されている番号に電話したら男性が出る、とか、そういう日常生活に散りばめられた小さなあの時の記憶を拾うたびに回想が流れる。彼らは笑って振舞っているけれど、傷は決して癒えていない。その傷の記憶、そして結束感を口に出さずともどこか感じさせる。それが私の感じていた違和感の正体だ。その空気を感じるたび、震災の日島にいなかったモネは苦しくなっていく。百音がなんでもいいから島を出たい、と言った気持ちを想うと泣きそうになる。
百音が「私はあの日何もできなかった」と言った時、ああそうか、この子は誰かの(特に島の人たちの)役に立ちたいのだと、そうやって生きていく子であり、そういう朝ドラなのだろう、と思っていた。百音が少年を助けた時、「あなたのおかげで助かりました」と言われた時、百音ちゃんすんごい嬉しそうな顔をしてた。誰かを助けられる仕事、天気予報士、よし百音ちゃんこの成功体験をバネに羽ばたいていくんだね……!!と思っていたのもつかの間、ここでこの作品を語るうえで外せない台詞が降ってくる。「あなたのおかげで助かりましたという言葉は、麻薬です」言ったのはそう、俺らの菅波こと菅波。えーーーーあれ、これ私が思ってた方とは違う展開行く???お?????あれ、そういえばさやかさんも「誰かの役に立とうなんて思わなくていい(意訳)」みたいなこと言っていたような…?百音ちゃんは今「誰かの役に立ちたい」と思って生きているのに、そこを肯定するだけの話じゃないのか!!!!と思った。
東京に出てくると、莉子ちゃんに「人のためって、結局自分のためなんじゃん?」ということを言われたりする百音。この台詞は真理だと思うし、真理だとみんな分かっているからこそみんな辛い。ここ最近の百音みーちゃんりょーちんなどの展開も、結局はこの真理を軸に回っている。鬼しんどい。
先日推しのA-Studioを見ていると、推しの学生時代の友達が出てきて、推しが「こいつら俺を芸能人扱いしないんですよ〜だから一緒にいて楽で〜」みたいなことを言っていた。私がもし推しと同級生だったら、仲良くなりたいという下心をめちゃめちゃに抱え、推しを芸能人扱いしてしまうだろう。「推しと友達の私⭐︎」になりたいとか、推しをもっと知りたいとか、自分のために仲良くなりたいという気持ちがあるし、どこか自分の知っている推しを推しにも求めてしまう気がする。
それを機敏に感じ取った推しは私の前ではどこか芸能人の推しであり続け心を開かず、私はA-Studioに呼ばれるような友達にはなれない。え?お前芸能人なの?知らなかった〜芸能とか興味ないんだわ〜みたいな奴が推しの親友をおそらく勝ち取る。推しはそういう人といた方が楽だからだ。私の方が圧倒的に推しと仲良くなりたいはずなのに。気持ちが強ければ強いほど手に入るものばかりでは世の中ないらしい。おいおいさっきから何の妄想話だよって感じだが、みーちゃんとりょーちんと百音の話である。
百音は問いたださず静かにそっとそばにいてくれるタイプ。しかもりょーちんのことを全く恋愛対象として見ていない。友達。幼馴染。かっこよさを求めていないのだ。すーちゃんやみーちゃんにはかっこつけてしまうりょーちんも、百音にはかっこつけずにいられる。りょーちんを助けたいという気持ちが百音よりみーちゃんの方が勝っているとかそういうことではもちろんない。もちろんないのだけど、りょーちんには百音なのだ。
みーちゃんは百音のことを「逃げた」と思っている。あの日島に百音は居なかった。誰かが残らないといけなかった。お姉ちゃんは残らなかった。私は逃げない。この島からも逃げないし、家族からも逃げない。お姉ちゃんは登米へ行き、東京へ行った。気象予報士になった。私たち姉妹で最初にテレビに出たのはカキの養殖で私の方だけど、お姉ちゃんは毎朝出るようになった。垢ぬけて綺麗な洋服に身を包み、しかも医者の彼氏がいるらしい。でも私は島の方がいいし、島から逃げない。りょーちんも逃げていない。私はりょーちんの一番そばにいて、りょーちんの苦しみを一番よく分かっているはず。なのになんでお姉ちゃんなの?なんで電話をかけてくるのはお姉ちゃんなの?ずるいよ…… といった感じだろうか。
みーちゃんの「ずるい」は百音に電話が来たからという理由だけではない。もう何年も溜まっていた色んなずるいが濃縮されたずるいなのだ。りょーちんにかわいいと言ってもらった服を投げるみーちゃんが切ない。すごく気持ちがわかる。自分の大事なものであればあるほど、それを乱雑に扱いたい衝動にかられる。一種の自傷行為である。あの服を投げた自分を嫌悪する傷で、別の痛みを掻き消してしまうだろう。菅波先生に挑発的なことを言ったのも、その流れだったと私は思っている。百音との仲を切り裂こうとかそういう策士的なことではなくて、衝動が抑えきれなかったのだと思う。溜まっていたずるいという感情が爆発して、自分を傷つけるために周りを傷つけている。それは当たり散らかしているとか、八つ当たりしているとかとは少し違うと思う。
それが周りの人を傷つけていい理由にはもちろんならないけれど、彼女はまだ二十歳に満たない女の子だ。溜まってきた感情を外に出さないと、感情をため込んでため込んで最悪の場合死を選んでしまうかもしれない。もちろんもっと良い出し方はあるしそっちを選べた方が良いのだけど、そんなに完璧を求めていたら人間はパンクしてしまう。私はみーちゃんが感情を外側に出せて良かったなと思っている。みーちゃんもりょーちんも我慢しすぎなのだ。みーちゃんは心優しい一面ももちろん持っているし、今は周りの人を傷つけているけれど、みーちゃんの事情を分かったうえで彼女を包み込んでくれる人が現れてほしいと思う。それが百音なのかりょーちんなのか両親なのかは分からないけれど。
続いてりょーちん。
りょーちんの「突然来ちゃダメなの?」という台詞がとても印象に残っている。りょーちんは確実にみーちゃんやすーちゃんには同じことを言わない。その時の眼が、お母さんを見る子供のような眼で、あありょーちんにとって百音はお母さんなのだと思った。本当の母を亡くし、父は荒れ果て、早い段階から大人にならないといけなかったりょーちん。すーちゃんは自分のことが好きだし、みーちゃんは年下でかっこつけたい相手だし、大人っぽくて少し鈍感な百音を母親のように感じるのは必然のような気がする。
私はりょーちんが百音のことをどう思っているのか、りょーちん自体も分かっていないのだと思っている。「言えるのは百音だけ」という事実がそこにあるだけだ。りょーちんがこの感情をこれからどう扱っていくのかによって、彼と百音の関係性も変わっていくだろう。
百音がテレビではキャラを作っていると聞いて、少し嬉しそうにしたりょーちん。個人的には百音に変わってほしくないということが彼の一番の叫びな気がする。美波さんを亡くし、第二の母も変わっていってしまう、それに居ても立っても居られなくなって東京に来たのだと解釈している。
りょーちんは他人に「求める」ということをしない。というか出来ない。いつも周り優先。でも唯一求められるのは百音なのだ。
「人のためって、結局自分のためなんじゃん?」。莉子ちゃんの言葉が沁みる。この人の役に立ちたい!!!という強い気持ちは、自分を相手に重ね合わせて自分を救いたいだけだったりする。そのエゴは相手にも伝わる。
結局どうすればいいのだ。もう本当に。どうやったらみーちゃんはりょーちんを救えるの?どうやったらりょーちんはもっと楽に生きられるの?なんで百音なの?百音はどうしたらいいの?どうしたら彼らは幸せになれるの?十分みんな想いあってるはずなのに、あーーーーーもう無理ーーーーーただりょーちんが百音に心を開いているという事実がなぜか死ぬほどしんどいーーーーーもう無理なんだけど、、、なんか書いていて自分もよく分からなくなってきた。もう書くのやめたい。
あ、いや違う。そうだ。おかえりモネは「知らないところで誰かの役に立ってる」ということをすごく丁寧に描く朝ドラなんだった。海と山と空は別々に存在しているけれど、互いが互いを支え合って存在している。登米と気仙沼と東京の三つが登場したように、おばあちゃんが牡蠣から芽に転生したように、全ては繋がっていて繋がりのなかで支え合っている。↑⇄⇄⇄↓となる中で、気がついたら誰かの支えになっている。誰かのために何かをしようを動機に生きるのでは無く、今を懸命に生きていたら気がついたら誰かを助けているかもしれない、ということ。
結局多分、それしかないんだろう。今を真剣に自分のことを生きるしかないんだろう。それが回り回って誰かの助けになることを信じて。
結論薄っぺらい!!!!でもそれしか結局思いつかない。その方向性だと思うんだけど、これからどうなっていくのか本当に楽しみです!!!なんて言ったって今週まだ4日あるんだよ!!!!しんどいしんどい!!!みんなモネ見よ!!!!!私はおかわりモネして寝ます!!!!7:30には起きなきゃなので!!!!!
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