5月になった。私は生きている。GWはどこへも出かけず、正確には出かけられず、いつもより華やかなSNSを見ては遠い別世界のような気がした。かつて同じ教室で、同じコミュニティで過ごしていた人々。いまも私のことを心配しては連絡をくれたり、想ってくれていたりする人々。ずいぶんと遠くなってしまった。
いつもの眠れない夜、背中を丸めて布団からこっそりスマホを光らせる。どこもかしこも見飽きた。それでも眠れぬ夜、終わらぬGW。
唯一、旧友が私の家に遊びにきてくれた。心を打ち明けてはすんなりと受け入れられる。私たちは同じ教室でチェロを弾いていた日から今の今まで、趣味も合うような合わないような、なんだかよくわからないけどお互いの話を聞いては納得したりアドバイスしたり、延々と時を過ごしてきた。その日も時間が足りずに、夜駅まで見送る。
それから私は二日疲労から寝込んだ。朝も昼も夜も眠った。ついに眠り尽きた午前4時、友人に頼まれたデザインの仕事を仕上げた。
デザインは大変喜んでもらえた。ありがとう、あとは微調整して入稿するねと言い、荒れ狂う天気とともにまた寝込んだ。
気がつけば二日経ち、たった20分ほどで終わる作業に後ろ髪引かれながらベッドから動けずにいた。空腹感や味覚も失った。頭がフラフラするような。横になっているからわからないんだけど。
こんな生活を長い間してきた。動けなくなった時の対処法はいくつも用意しているし、うちにはすぐ食べられる栄養機能食品や冷食、インスタントラーメンが沢山ある。だから、味覚がなくなっても空腹感がわからなくなっても大丈夫。理性が「きっとお腹が空いている」と判断してそれらを摂取する。頭のふらつきは危険な合図。低気圧は眠気と頭痛吐き気の合図。そう、わたしはわかっている。
しかし、つい最近だ。食べることがわからなくなった。先日新しいレシピ本を買ったばかりだというのに。
土砂降りで寝込んで何も食べずにいた夕方、いつか作ろうと思っていたハンバーグのひき肉をどうにかしなければならなかった。重い体を動かして、吐き気を堪えながら作る。やっぱり味はわからない。
もう用意してある食べ物にも飽きてしまい手が伸びない。募る吐き気、落ちる気分。頓服を飲んで泣きながら眠った。本当の私はあんなに食いしんぼうだったのに。これから何を食べて生きればいいのかわからない。
いくらか痩せただろう。今朝も吐き気とともに、理性の朝ごはんを食べて病院へ行った。
「生活サイクルが乱れていますね、規則正しい生活を」
「あまり先のことは考えすぎないように」
教科書のような言葉だ。私だってそうしたいんだ。ふらつきながら、これからやってくる梅雨に想いを馳せる。何を食べて、どう生きようか。
冷蔵庫を覗くと苺があった。買ってから3,4日は経っている。食べなければ。モッツァレラと生ハムと一緒に食べる。うん、そうだよね。やっぱり美味しさはわからない。けれども、苺とモッツァレラを買った日の私を思い出した。
苺を買ったあの日、私は元気になりたかった。ひき肉を買ったあの日も、元気になりたかった。ハンバーグも苺のサラダも私の大好物だったからだ。今の私は一人でしか生きれないんだよ、でも昨日の私と今日の私は違うんだ。いつも明日の私を想って、どうしたら元気になれるかな、負担にならないかなって一生懸命考えてる。
生活サイクルを整えられるだけの病状じゃありません。ごはんだって上手に食べられません。だからこそ先のことを考えます。もしかしたら梅雨の時期まるまる寝込んでしまうんじゃないか、その間何を食べればいいのか。
私を労ってあげられるのは私だけなのだ。いつも夜中に泣いて、一人でいることしかできないことを我慢して、やっと朝まで生き抜く。誰もみていない。私だけが知っている。
お金はないからさ、ごめんね。明日は晴れだから、私の大好物のスパイスカレーをたくさん作るよ。その次は餃子も作って冷凍しておくから。
大丈夫だよ、私がみてるよ。そのうち戻っておいで。
おいしいご飯を食べるにはどうしたってお金が必要