憂うつはこわい。無意識に始まったそれは、私を重たく離さない。 長く眠った。ルームメイトに薬の時間だよ、と起こされる。それが昼なのか夜なのかわからなく、しばらくルームメイトの顔を見つめてしまった。 ベッドに癒着した体をゆっくりと剥がすと、体の重たさがありありと伝わる。食欲はなく痩せたはずの体が、私の心にへばりつく。 のそりのそりと薬を手にして飲み込む。次第に悲しみが湧き上がる。 何が悲しかっただろうか。どこで思っただろうか。長く眠った間に、私は自分の記憶を旅していた。それら
久しぶりに重たい波を超えつつある。波は大きくなったものの、乗りこなし方が少しずつ身についてきたのかルームメイトのサポートのおかげか、昨日は頓服を1回しか飲まずに済んだ。 Youtubeにうつのことを話した動画を公開した。サカナクションの山口一郎さんのドキュメンタリーを観ていたから、フォロワーが減ることも低評価を押す人がいることも分かっていた。 いまだに世間はこわい。間をぬって、優しい人を頼りにしないと私は前へ進めない。誰かからの無神経で簡単に心がぽっきり折れる。 今年は1月
ここ数日夜寝付けず、毎晩泣き腫らしては明るくなってきた頃に眠る。当然体の調子も良くなく、少し戻った味覚を頼りにわずかな食事をとってベッドに項垂れていた。 私は相変わらず先のことを考えていた。考えるなと言われても、私には身寄りなどなく生活保護の水準で暮らしていける自信もない(これにはとても複雑な理由があるが省略)。 ただでさえ病気のことで翻弄される日々に、節約の文字が離れない。それは日々肥大していき、私の頭にのしかかる。普段なら調子のいい晴れの日だって、古くなったお米を前に潔
5月になった。私は生きている。GWはどこへも出かけず、正確には出かけられず、いつもより華やかなSNSを見ては遠い別世界のような気がした。かつて同じ教室で、同じコミュニティで過ごしていた人々。いまも私のことを心配しては連絡をくれたり、想ってくれていたりする人々。ずいぶんと遠くなってしまった。 いつもの眠れない夜、背中を丸めて布団からこっそりスマホを光らせる。どこもかしこも見飽きた。それでも眠れぬ夜、終わらぬGW。 唯一、旧友が私の家に遊びにきてくれた。心を打ち明けてはすんなり
先日折坂悠太さんのライブへ行ってきた。 別居、離婚、緊急搬送を数回、入院などを経験した私はすっかり老け込んだ。排水溝へ溜まってゆく大量の髪の毛。明らかに皺の増えた顔。半日も外出すればへとへとで、回復まで丸二日かかる。 「まだお若いですから」と、この年齢になっても時々言ってもらえるが、一体私は何歳だろうか。 入院中、最後の一般販売のタイミングで折坂さんのチケットを買った。この日に私はライブに行けるのかどうか、ある種の賭けだった。 当日は緊張からか食欲不振、軽い睡眠不足になっ
私はただここで生まれ、ここに辿り着いた。本当はあそこまで行きたかったとか、こんなところに生まれたくなかったとか、そう思うに値する人生で構わない。 人よりも痛みや苦労を乗り越えてきたつもりだ。私は悔やむことを諦めた。なりたかった自分を諦めた。でもどんな人生であろうと生き続ける。 誰かの救いになれるかもしれない、ぼんやりとした希望。
わたしの傷口を見ろ わたしのなみだを見ろ わたしはなにもかくさないぞ はずかしいことなんてなにもない けなされる理由もない ただ知って、見て、思って ここなんだよ まだ息をしているよ 水をかけられても 風が強く吹いても まだきえない火が わたしもそうなんだと 教えてくれよ
これは私の覚書として、そしてささやかながら同じ境遇の人への手助けとして。 「にっちもさっちもいかない日」 みなさんにはありますか。こころの病気を抱えている私には2日に1回のペースでやってきます。そうでなくても、風邪を引いてしまった日、ひどく悲しいことがあった日、へとへとになってしまった日…どんな人にも「にっちもさっちも」はやってくるのです。そうですよね。 箸が転んだだけで泣ける、怒る、ここまで行ったらもう大変。そして誰にも頼れなかったらもっと大変。そんな人のために、私が培っ
今月は大変だった。三週間ほど心やら体やらが不安定で、常に頭がふらふらしていた。そんな中でもなんとか生活を続けた。今朝鏡を見ると、肌は吹き出物だらけ、髪はボサボサの私が残っていた。兎にも角にも、ようやくうつうつとした日々から抜け出すことができた。それでいいのだ。 私は偉い。来る地方統一選挙に向けてリサーチをして、心のどこかで私の父のような政治家が生まれないことを願っていた。この人だ、という候補者を見つけて、一体世の中はどう変わっていくんだろうと思った。 世の中は悪だろうか、
いつだか、高校の友達が「スープストックは女子の二郎」と言っていた。当時スープストックの存在さえぎりぎり知っている程度だった私からすると、何が何だかわからなかった。 初めてスープストックというものを知って、「スープの専門店」という響きがなんとも理解し難かった。え?スープでご飯食べるの?って、誰しも思っただろう。大学生になってから、定期券内にスープストックがあった。存在が気になるなあ、と思いつつ、遠目に見るとまるでおしゃれな雰囲気が私を飲み込んだ。生まれて初めてスタバに行った時の
昨日、本のおまけの栞を作りにキンコーズへ行った。持ち込んでいった竹尾の見本帳店で買ったお気に入りの紙は分厚すぎて対応できないと言われてしまった。あわてて、なるべく白くて程よい艶の紙を選んで出力してもらった。ついでに、ポスターも作った。 自分の文章をこうして本にしたり、自分のグラフィックをポスターにしたり、私って私のこと大好きか。でもいいんです、何も嘘ついていないから。 自分のこと大好きなんて言うのずっと恥ずかしいと思っていたけど、いつかのカウンセリングで自分の好きなところ
程よく酔っている。たまにはラフに文章を書く。自分のエッセイ集、発売日も決まって後はキンコーズに行ってしおりを綺麗に印刷して、本が届いたら物撮りをして、それだけだ。 毎度毎度、本のことをお知らせするたびに心がドキドキする。悪い意味で。誰も興味なかったらどうしようとか、こんなに明け透けに自分の考えを見せていいものなのだろうか、とか。でもねえ、その度に、誰かのためじゃなくて自分のために作っているんでしょうと言い聞かせる。 私のことをいまだに夢見がちなドラマチック症候群だとか、さ
最近の私は機械的だ。毎朝9:00に起きて、猫の居場所を気にして、少しだけの朝ごはんを食べて、身支度をして、実家のパン屋へ行って12:00までパンを焼く。最初は同時に何個ものパンを焼くのに慣れなかったけれど、沢山腕に火傷をした今は手慣れたものだ。 喉が渇いたら、お店にある売れ行きの悪い200mlパックのアイスコーヒーを取ってきて飲む。お母さんが売れないから飲んでいいよと言ってくれたので、毎日そればかり飲んでいる。私が手伝う平日はパートさんもいつも同じ人だ。毎日少しずつ、パンの種
昨日、もやもやした気持ちが一体なんなのかと思って考えていたのだけど、私はデザインの仕事がしたいのに病院の先生とかカウンセラーさんとかに「焦りは禁物」と言われて、毎日だらだらと過ごすしかないことだと気づいた。 もちろんもう就活を始めたいとかいうことじゃなくってさ。いい機会かなと思って自分の本を作ることにしてから、デザイン作業が本当に楽しくって、あっというまに入稿したんだよね。 すこし前に友達と話したのだけど、こういう病気って、なにか不調があったときにこれが休むことに値するのか
昨日。実家でお風呂あがりにうとうとしていたら、知らない間にうちの猫が私の足元に来て寝ていた。それからまた寝て、また目覚めると、いなくなっていた。 寝ている間も、うすぼんやり猫がいることを思って端っこで寝ていたんだけどな。今日は猫と一緒に寝ているんだなという小さな喜びが、嘘になってもなお嬉しかった。 私は本当に弱っちいのだ。お昼を食べそびれたり、連絡が欲しい人から連絡が来なかったり、たったそれだけで落ち込んで、時々泣いた。次の日にはもうけろっとしているのでそんなに問題はないん
私は無類の餃子好きだと自負しています。 お店に食べに行くのもすきだし、自分で作るのもすき 今まで食べて忘れられなかったのは宇都宮の正嗣と浅草の餃子の王様でしょうか…どちらも肉肉しいとは対局の、野菜たっぷりで甘味のあるパクパク行けちゃうタイプ🥟 私の理想はそこにあるとして、ここ何年かでいろんなレシピを参考にしつつ自分なりにアレンジを加えてきたレシピを、ver.1として記録しておきます。 材料編 ■材料(大判20個分) 餅粉入り大判餃子の皮 1袋 豚挽肉 130g