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虐待の連鎖。おにぎり作って公園に連れて行ってくれた、母は私を愛してた。
2024年7月20日 03:01
ついさっき、お母さんと話した。
私の公園デビューが大阪城公園だったっていう話を聞いた。
住んでいた場所から近かったから、自転車の前に私を乗せて、よく通ったんだって。
私は当時まだ1歳2歳で、近くの幼稚園の5歳くらいのお兄さんお姉さんが遊びに来るまで、一人でのんびり遊んでたんだって。
家で作って持って行ったおにぎりを食べて、また自転車の前に私を乗せて、帰るんだって。
私この話を扉越しに聞いて、なんだか泣きたい気持ちでいっぱいになった。
母の手前、泣かないけど。
だってさ、大阪城公園で一緒におにぎりを食べてた頃の母は、こんな結末を予想していた?
まさか私が母の姿を見るだけでパニックを起こすようになって、そのせいで扉越しでしか喋れなくなるの。
私のために早くに起きて、おにぎり作って、自転車を漕いで、公園に連れて行ってくれた頃のお母さんは、自分が道を踏み外すなんて予想もして無かったでしょ?
こんな風になりたくて子どもを産んだはず無いよ。
不倫の末の「できちゃった」子どもでも、
妊娠が分かった時、母子手帳を貰った時、娘だって分かった時、可愛いおくるみ準備した時、予定日を聞いた時、
母は間違いなく私を愛していたはず。
私、ちょっと小さく生まれたんだよ。
だから最初は看護師さんが付きっきりで面倒見てくれて、母子同室になるのが遅かった。
母は産後すぐから、傷が痛むのに体を引きずって、私の顔を見るためだけに、保育器がある新生児室まで通った。
ガラス張りの部屋の奥に居る私を一目見るために、手すりを伝って、一生懸命。
高校生で親に捨てられて、学校辞めて、水商売して、妹弟を養って育てた凄い人なんだよ私の母は。
私がPTSD、強迫性障害、双極性障害、コリン性蕁麻疹って沢山の病気を抱えることになったのは母のせいかもしれないけど、
母は母で、自分の親のせいで、解離性健忘と双極性障害で入院したりしてた。
誰が悪いんだろうね?
私が毎日毎日、学校から帰って家の玄関を開く時に涙を流していたのは、誰のせいなんだろうね。
母を妊娠させた、既婚者の男?
母を虐待した祖父?
母を捨てて金銭を搾取し続けた、祖母?
それとも母自身だろうか。
母は毎日お酒に溺れて、私はよく、自分の体ほどもあるボストンバッグと1万円札を持たされて、自販機にお酒を買いに行かされた。
ものすごく、嫌だった。
でも常にどこかで「お酒飲まないとやってられないんだろうな」って思ってた。
ここまで書くと、まるで私が母を庇っているみたいだ。
いや実際、そうなんだけど。
だって私が何かを頑張る行動理由は「お母さんに褒めてもらえるかも」だったから。ずっと。
愛に飢えている子どもだったから。自分の努力が足りないから愛してもらえないんだって思ってたから。
私は生まれ変わっても私になりたいって、本気で思っているけど、
でも多分、もう一回全く同じルートを辿るなら、今度は生き残れないと思う。
それくらい、暗くて、冷たくて、黒くて、苦しくて、孤独な家だった。
でも結構気に入ってた。
母ひとり子ひとり、6畳のLDKと6畳の寝室と、小さい浴槽と、小さいベランダだけの家。
テレビが見やすいようにって、私をテレビの前の席に座らせてくれたことも覚えてる。
母は横を向いてテレビを見てた。
一緒に、ご飯に海苔を巻いて食べた。
私は高級なレストランのディナーなんか要らなくて、ご飯に海苔でも、ふりかけでも何でも良くて
ただ隣に母が居ることが重要だった。
でも母は気付かなかった。最後まで。
私は一緒にご飯を食べるだけで十分過ぎるほど幸せだったのに、母は気付かなかった。
母が居てくれたら幸せだったのに、父親なんか要らなかったのに、男なんか連れて来なくて良かったのに、貧乏でも母が居るだけで十分だったのに。
分からないんだろうなあ。
みんな子ども時代があったはずなのに、簡単に忘れてしまって、子ども心を理解できなくなるんだろうな。
子どもがどんなに真っ直ぐに親を愛しているか、忘れてしまうんだろうな。
私の世界の中心は母だったよ。
母が笑っている日は朝から幸せで、母がお酒を飲んでいる日は恐怖に怯えて。
この世にお酒が無かったら、私はこんなに沢山の病気に悩まずに済んだのかなって思う。
心療内科にも、大学病院にも、行くこと無かったのかなって。
たらればの話をしても虚しいだけだから、普段はあんまりしないけど。
強迫性障害だって普段は笑い飛ばしてるけど、結構辛い。物が触れないって、辛い。
除菌シートのせいで肌がカサカサになるし、せっかく買った手帳やマフラーやリップや服も、床に落としたら捨てなきゃいけない。
意味分からないことしてる自覚あるから、余計に辛い。
コリン性蕁麻疹も笑い飛ばすようにしてるけど相当しんどい。汗をかいたら蕁麻疹が出るって、QOLダダ下がりだよ。
2回、呼吸困難を起こしてるから。またああなるんじゃないかって思うと凄く怖いんだよ。
どれも始まりは母のせいだった。
強迫性障害は、母が全ての料理に髪の毛を入れるようになったから発症した。
コリン性蕁麻疹は、いじめっ子が沢山居るバスケ部に無理やり入部させられて、ストレスで体が壊れたのが始まりだった。
双極性障害は、母から風俗で働けって言われたり、首を絞められたり、カッターを手首に当てて脅されたり、穀潰しって罵られてた時期に発症した。
PTSDは、母が目の前で自殺を図ったから発症した。料理好きだった私が、3年間、包丁を握れなくなるほど影響は大きかった。
他にも、小学生の頃に抜毛症になったこともある。右側の髪の毛がほとんど無くなるくらい抜いてしまって、でも心療内科には連れて行ってもらえなくて、ただ「みっともない!」って怒鳴られて終わった。
でも、それでも私、今でも、母のことが好きなんだよ。
好きだから縁が切れなくて困ってる。
強行突破で、もう家を出て自由の身になろうと計画しているけど、やっぱり依存心は強い。
共依存ってやつだと思う。
母は八つ当たりしても穏やかに受け止めて言い返さないサンドバッグを求めていて、私は愛してくれる存在を求めていた。
ただお互いに、そんな都合の良い相手では無いって、徐々に分かり始めてきた気がする。
私は私を殺しかけた人間のことを、一生かけて愛し続けてるんだよ。
人間って醜い生き物だね。
心があるから、こんな不思議な状況になるんでしょ。心とか気持ちなんて最初から無ければ良いのになって、何度も何度も思った。
だって100%理性的に考えたら、今の状況っておかしいのは分かるから。
すぐに家を出て、連絡先を絶って、早く逃げたら良いんだよ。もう大人だから。
ここら辺で終わっておこうかなあ。
実は今度、友達に毛糸で作った巾着をプレゼントするんだよね🪡🎁
それで今、その巾着に針でビーズを縫い付けてたんだけど…まさかの針を紛失した(´ロ`ノ)ノ
こういうところだよー、私の変なところ。
だって使ってた針をベッドの上で紛失することなんて絶対無いよ、おかしいよ…
まあいい、多分いずれ刺さると思うけど、針が刺さったくらいで人は死なない。
と、いうわけで、この辺で終わりにしようと思う。
新しい針を出してきて、ビーズを全部つけてから、寝ようと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
私は逞しく生きているよ。
おやすみなさい。