働きたくないフェミニスト
電車の中でnoteを書いている。Spotifyから流れる、ティファニーで朝食のテーマソング、Moon Riverを聴きながら。去年、タイへの行きの飛行機でこの映画を見たことを思い出しながら。去年は楽しかった、と過去を振り返りながら。
(ごめんなさい、嘘です。ご飯食べたりお風呂で意識飛ばしそうになってたらこんな時間になってしまった、不覚すぎる。ただいま洗面所で書いております。)
今は(割と)開放的な気分なのに、数十分前までは仕事嫌すぎ早く帰りたいとしか思えなくて、私は組織に向いてない!ってもはや呪文のように思っています。
割と気分のいい今でもやはり思ってしまう。働きたくないと。
最近忙しくて全然読めていないのですが、Lean inを読んでいます。この本は、私が大学2年の時のジェンダーの授業で先生が勧めてくれたのずっと読んでなかったから。
この本では、女性が働くことに伴う困難や女性がリーダーに就く重要性について書いていますが(ざっくりすぎ)、読みはじめた当初は、精神的余裕があり、わかる〜って思うところも多々あったので、共感しながら読み進めていました。
ですが今の私、仕事や職場のストレスなどから常時5%くらいの鬱状態です。そのため、誰かに癒して欲しくて、結婚してパートーナーといる生活を羨んだり、とにかく家にずっといたいとか誰かに依存したいと思うことが多く、そんな中この本を読んでも???となります。女性はリーダーになろう?その前に働きたくない!しかもこの本の女性たち、スペック高すぎる。こんな女性になれない、理想的すぎてもはやネタか?実在するのか?みたいな気持ちにもなる(半分くらい妬みです。)
今、私はリーダーになりたいかと聞かれたらはっきり言ってなりたくない。それ以前に不労所得!カモン!!!て感じ😌
実際こういうスーパーウーマンもいるんだろうけど、わたしとは程遠すぎてなんのこっちゃとなる。自分の人生に彼女が存在してるとは思えない。
フェミニズムやジェンダー論は静と動で言ったら動のイメージをもってしまいがちで、それゆえに、こういった学問は働く女性と親和性が高く、働かない、働きたくない女性を包括してくれないと思う人が多いのでは、と思います。というか客観的に言ってる風にしておきながら、当の私も働きたくない自分はフェミニストでありたいけど、なれないなと思うことが多々あります。
私は元来、家事は極力やりたくないし、もし結婚するなんて将来が来ても、平等に家事分担できる人としか結婚しないわ。とか普通に思っているものの、中途半端にフェミニズムとかジェンダーとか言いながら、何かに参加するわけでもなく生きている人間です。
ただ、ジェンダーに対する問題意識視点だけはもっていて、歳の差婚とかまじ受け入れられないし、女性の容姿差別する人は本当にもう目の前から去って欲しいと常日頃から思っている。職場で〝オカマ〟がというワードが笑いと共に出るともうこの職場にはいたくないと思うし、結婚するのが当たり前という世界線で生きたくない。
話を戻すと、フェミニズムとかジェンダー論って、女性は家にいちゃだめ、働け!みたいなことではないです。でもどこかで働くことが正義だと思ってしまっている部分があるんだなあと。ある意味ミソジニーですよね。度が過ぎたり、変な方向にいくと女と女の戦いとか揶揄されるわけで。
2月に少しだけbad feministを読みましたが、これは私のことだ!と何度も思いました。
フェミニストでありたいけど、フェミニストになりきれない自分に折り合いをつけることって難しい。自分が語れるものではないと突きつけられる時がある。
でも生きるってそういうことじゃん???人なんて矛盾だらけじゃん???今はそう思えないけど、そうやって思いたいという感情を抱えるのが、人間じゃん。
だから私はフェミニストでありたいし、実際フェミニストなのです。
私は、ジェンダー論やフェミニズムが今よりも主体性をもつことを後押しするムーブメントであり、大きく言えば既存の理不尽と正していくことだと思っています。
何度も言うけど、わたしは働きたくないフェミニストなのです。
そしてわたしのようにおかしいと思えるあなたもフェミニスト。
話はそこから。