
書く仕事がしたい
書くことが、自慰行為に限りなく近いものだと感じて恥じる。
今日もそんな恥ずかしい行為に耽る2月4日0時31分。
最近、「書く仕事がしたい」という本を読んでいるのだけれど。
読み進めれば進むほど、
エッセイストでもコラムニストでもないのに
こうして自分自身のことだけをネタに
noteを書いている行為そのものが
未熟で今更恥ずかしくなってくる。
それでもまた性懲りもなく書きたくなってしまう。
わたしの綴ってきたnoteが
ライターという仕事から
如何にかけ離れているか分かる。
それでもまた性懲りもなく書きたくなってしまう。
なんて破廉恥な。
著者曰く、
"プロのライターとして原稿を書くことは、恋愛に似ている"
と。
「いつか上手く書けるようになったら、売り込みに行こう」と思っているとしたら、それって「いつか上手く恋愛できるようになったら、本命に告白しよう」と同じくらいとんちんかん。
媒体によって求められる「面白さ」は違うし、評価される文章も、好かれる書きぶりもまるきり違います。
わたし「今それ〜〜〜〜」
売り込みにいこうとかそういうんじゃない。
けどね。
「いつかいい記事が書けたら投稿しよう」
の真っ最中だったわたし。
もう「いつか上手く恋愛できるようになったら、本命に告白しよう」のまんますぎやん…
少し経験したくらいで、
上手く恋愛できるようになった気がして、
本命も本当に本命なのかすら分からなくて。
疑似恋愛で公開オナニーもいいところ。
一旦、「良い」記事を目指すのは、やめにして。
自分の正しい現在地とゴールを把握する。
まずはゴールを知ること。
分かっておくこと。
そして自分の現在地を把握するためには
正しい自己評価という方位磁石が必要。
そして評価するための材料。
軌道修正を重ねられるだけの素材が必要だ。
だから、ただ書く。
積み重ねる。
進んでるか戻ってんのか
早いのか遅いのかなんて
景色が見えてこそ分かって
たまにそんな気付きがあって
今日はこのくらいにしとこ。
おやすみ深夜、また明日、この時間に。