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北野武の映画殺法/ぶりゃん

北野武の映画作り、脚本作りについてのインタビューをまとめた『物語』から、気になった箇所をピックアップ😚

YouTubeの動画も紹介しているので、臨場感持って本を読めると思う😉


北野武の映画殺法

北野武が撮った映画についてのインタビュー集🎥

思いついたら書く

そういうネタは、ふたりのかけ合いみたいな台本にはしてなかったね。俺は台本あるけど、ノートにメモるから。メモはよくするね。今は金があるから、ずうずうしくなって、2、3行書いたら、すぐそのノートは使わなくなっちゃう。だから、ちょっとしか書いてないノートが山積みになってるの。なんかやろうとしたとき、新しいノートを持ってこないと、気分悪いんだよね。昔はもう、旅館なんかに行っても、部屋にあるメモ帳とかに書いたりして。ポケットの中の紙とかにね。気がついたとき書くっていうか。

こないだも、車の中で運転手に「いいネタ思いついた、紙貸せ、紙」って、ノートにメモったりとか。メモっておいても、あとで見て「なんだったっけ?このネタ?」ってときあんのよ。それでも、自分の字だったら、まあまあ思い出すんだよね。ワープロだと全然わかんなくなっちゃう。ネタ帳でも、台本でも、「ちょっと悪いけど、これ、残しといて」なんて言って、人 にワープロで打たせたら、「どこがおもしろかったのかな? これ」ってなるんだ。自分の字じゃないとダメだね。

そういうふうにノートに書くようになったのは、漫才やりだしてからだね。 ジオとか。ギャグ、いろいろやってて、「また同じこと言ってる」って言われるの、イヤだったから。新しい話をしなけりゃいけないから、ちょっと目についたものとか、思いついたものをメモるんだけど。寝てて、ハッと起きて、急いでノートに書いて、とか。ねえちゃんとやってる最中に思いついて、途中でやめてメモ書いて、怒られたことがある(笑)。「何やってんの!」「いや、ちょっと」って。

今は、くだらない番組をやるときのために、そこで使うネタを思いついたら、「ノーパンかるた取り」とか書いてさ。そのノートを落とせないっていう(笑)、恥ずかしくて。エロ川柳が書いてあったりさ。

北野武2012『物語』株式会社ロッキング・オン、pp.11-12

北野映画のストーリーの組み方

映画のストーリーはねえ・・・・・・『その男、凶暴につき』だと、まず、ハッピーエンドには、絶対ならないっていう。それで、暴力を使う奴は死ぬ、っていう設定だから。だから、主人公は殺されるか、死ぬか。で、不幸な女がいる、っていう。まあ3人いるじゃない、キャスティングが。それが前提で、じゃあストーリーをどうしようって、新聞の4コマ漫画みたいに考えるの。そうすると、妹も本人も死ぬってのは、起承転結の「結」になるじゃない?で、その4コマ漫画の題材が刑事ものってなると、刑事、悪い奴、ひっくり返った、死んだって、って作るだけだよね。だから、そんなに難しくはない。

『アウトレイジ』だと、ヤクザ映画っていうくくりがあって。主人公が最後に死ぬ、ってなると、どこで死ぬか。あ、刑務所か。刑務所に入る、刺される。そうすると、起承転結の「起」は、内部抗争、ヤクザのシマ争い。で、動かされる。動いて、殺る、裏切られる・・・・・・って、そういうふうに考えていくと、もうできちゃうっていう。あとは徐々に枝葉を増やしていくだけなんで、そんなに難しいことじゃないんだよ、ストーリー考えるっていうのは。

だから、この映画で何を言いたいかっていうのは、評論家が言うべきであって、作ってるほうは、そんなのはどうでもいいんだよ。『ランボー』とか、ベトナムを舞台にした戦争映画とか、ああいうのだって、別にメッセージなんかないわけ。単にアクションを見せたいだけなのに、「今の政治不安と・・・・・・」なんて言わなきゃいけないじゃない。そんなの、宣伝部が言やあいいんだよ。だから、『その男、凶暴につき』のときも、話をおもしろくしようってことは、考えなかったね。刑事の主人公が、ああいうマヌケな死に方で死んでいくなんてのは、日本の映画としては新しいだろ、っていうようなのはあったけど。途中の、便所でボコボコ殴る長いシーンとか、ああいうのは絶対おもしろいと思ってた。おもしろいっていうか、今までにない撮り方だろうなあって。

pp.16-17

最初にスタッフとどう対峙したか

『その男、凶暴につき』のときのホンは、助監督がそばにつきっきりで書いたんじゃないかな、俺の言うことを全部。ホンにしないと、ロケハンも何もできないし、小道具さんたちとか大道具さんたちが、何を用意していいかわかんないんで。だから、脚本っていっても、セリフのないとこは、何も書いてないんだよ。「シーンいくつ、路地、拳銃を持った我妻(主人公)が来る」ってだけ、書いてあんだけどね。だから、役者はそこに来るまで、どうしていいかわかんないんで。動きの説明も書いてないし。動きは、現場に行ってやんないと・・・・・・現場で、どう動けるかを見ないと。あと、役者を見てからじゃないと。

だから、最初はスタッフは困ったかもわかんないね。ただ、普通は1本目でそれやっちゃうと、スタッフって、次は絶対来ないから。「もう二度とやりたくない」って。でも俺の映画、スタッフ全員ずーっと同じだよ。カメラマンだけか、代わったの。だから、基本的には、スタッフ全員でラッシュを観りゃ、すぐ解決しちゃうのよ。離れていくか、また一所懸命やろうと思うかは、ラッシュでバレちゃうから。最初のラッシュ観てから一所懸命になったもん、みんな。でき上がったときなんか、喜んでたし。

pp.17-18

『その男、凶暴につき』の制作秘話🤫は↓の動画にあった。

映画とは1枚の写真である

脚本、セリフがすごく少ないのとかもさ、最初にスタッフに見せたとき、べつに変な感じにはなんなかったし。だって俺、有名だったし(笑)。テレビのビートたけしはね。「俺に文句言うんじゃねえ」って感じがあるから。「しょせん、映画なんかたいしたことねえよ」って顔してたからね。

で、俺も、持論があるんだよ。基本的に映画ってのは、1枚の写真なんだけど、写真だと、ストーリーまで語れない。まあ、ロバート・キャパとかは、1枚の写真で戦争を語るんだけど。それじゃもの足りないときは、どうするか。その写真が動きゃいいんだよね。フィルムになる。それでも足りなきゃ、セリフつけよう、音楽つけよう、ってなるじゃない。しゃべらせよう、効果音を入れよう、カラーにしよう、って、じゃんじゃんつけ足してきたわけで。だから、最初の基本的な1枚の写真で、ものを語れなかったらダメだっていうのが、俺の持論だから。できたら、しゃべんなくていい、っていうのが、映画の基本だと思うんだよね。で、しゃべんなきゃダメなら、映画じゃなくて舞台やりゃあいいじゃねえか、っていう。

昔の映画は、とにかく説明的なセリフが多いんだよね。よく漫才でネタにすんのは、向こうから知り合いが来て、普通、「おう」でいいのに、「おう、高橋、なんだ」って。それは、そいつらの会話じゃなくて、映画を観てる奴のための会話であって。映画というのは、説明ばっかりしたがるから。なるたけ説明せずにわかる方法ないかな、っ て感じだね。

俺は漫才で、セリフだけで状況説明するために、いかにぴったりの言葉を使うかって商売をやってきたんだから。映画だって、しゃべろうと思えば、いくらでもしゃべらせられるけど、でも映画には映像がある。「田舎の町でね」ってセリフを言う前に、田舎の街の映像を映しゃいいんだから。だから、映画と漫才とを、俺ははっきり分けたんだと思う。

pp.19-20

と言っても、ビジュアルだけでやってると分かりにくすぎて、客も入らない。

やっぱり、映画ってのは、まず映像が第一で、映像で足りない部分が言葉であって、音楽である、っていう。映像だけでいいと思ってるからね。サイレントでいいと思ってるし。その映像で客が何かを感じられればいいんであって、無理に言葉で言う必要はない、みたいなとこがメインだったのね。だから、すごい不親切な映画を撮ってたんだけど、あんまり不親切だと客は入んねえし、自分も撮れなくなっちゃうから、じゃあちょっとわかりやすいものを・・・・・・高級レストランでトンカツ出したみたいな感じで。

pp.72-73

手を抜かない脚本家、手を抜く監督

『3-4×10月』は、『その男、凶暴につき』より、もっと観念的っていうか。もっと色が激しくて、テンションの高い映画を撮りたいとは思ってたけどね。だから、脚本どおりにちゃんと撮れる監督であれば、いいと思うけどね。要するに『3-4×10月』 も、脚本家は、そんなに手を抜いてないのよ。監督が手ぇ抜いちゃうんだよね(笑)。

『あの夏、いちばん静かな海。』だって、脚本家はちゃんとやってんのに、監督が手ぇ抜いて、あんな映画になったんだから。真木蔵人を海で殺したんだけど、あれはほんとは、交通事故で死ぬことになってたのよ。どうも段取りめんどくさくて、やめちゃったの。ほんとはさ、要するに、耳がきこえないんで、うしろから酔っぱらい運転の車がブーブークラクション鳴らしてんのに、どかなくて、ダーンとひかれちゃうんだけど。絶対、そっちのほうが泣けて、いいんだけど。どうもねえ。若気の至りだな。

だから監督がちょっと手ぇ抜いてたというか、監督がね、映画よりも、やることいっ ぱいあったのよ。女遊びとか、酒呑むとか(笑)。撮りながら、時計見て、「このあと酒呑みに行くのに、何やってんだ。早くやれ!」とか、平気で言ってんだから。最低の監督だよね。映画が命、みたいな監督見ると、「バカじゃないか、こいつは」って。酒と女を映画と比べて、どっち取るっていったら、酒と女に決まってるじゃねえか、っていう。その当時は。今はね、五分五分になってるけど(笑)。

pp.29-31

北野武は、監督、脚本、主演と一人二役、三役でクレジットに載っている。なので他に真面目が脚本家がいるわけでなく、自分がホン書くのに力入れて、撮るのはアバウトでやってたってことか👀?

北野映画はなぜ「順撮り」なのか

俺、だいたいの映画は順撮り(脚本の順番どおりに撮影していくこと)なんだけど。『ソナチネ』も順撮りだったよね。だって、順撮りだったから、大杉漣さんが売れちゃったんだから。

大杉漣さんは最初、ワンシーンだけで。奥の部屋で「てめえ金払えこの野郎!」って怒鳴ってるシーンだけだったんだ。で、「あのヤクザ、いいねえ。じゃあ明日も来てもらおう」って(笑)。「沖縄も連れてっちゃえ」とか、じゃんじゃん出番が増えちゃって。あれはねえ、最初は大杉漣さんじゃなくて、寺島(進)だったんだよ。で、寺島のやるはずだったことを、大杉漣さんにあげちゃって。撮影に入ってから、渡辺哲さんと漣さんを引きずったの。漣さんなんか最後まで引きずって、最後の最後に撃たれることにしたんだけど、ほんとはーシーンしかなかったんだから。したら今、大杉漣さん、 忙しくてしょうがないでしょ?あれ、「ソナチネ」のおかげだよ、どう考えたって(笑)。

だってそんときも、急に「沖縄行かない?」って言われて、行けるってことは、行けるスケジュールだったってことだもんね。あれ、漣さん、最後の仕事のつもりだったらしいから。これでやめよう、堅気になろうと思ってたんだって。でもさ、漣さんもそうだけど、沖縄に行った役者はみんな、1日の撮影が終わると、「今日も生き残りましたねえ」って(笑)。「いつ殺されるんでしょう?」っていう。

だからほんと、順撮りのおもしろさだったのよ。先に沖縄のシーンを撮っちゃってたら、漣さんがいくらよくても、入れられないわけだから。それで、ストーリーを途中で崩してもね、基本ラインは変わらないから。高橋(たけし演じる村川の組の幹部)に裏切られて、にっちもさっちもいかなくなって、最後、自分で頭はじいちゃう、ってだけのストーリーだと思えば。スタートの時点で「ゴールここ」って決まってて、途中はどこを通ったって、最後にそこに行きゃあいいんだから。

逆にさ、「こう撮ろう」ってのを最初から決めてあって、脚本に書いてても、現場に行ってやめる、っていうことも多いし。かわいそうなのは、小道具さんが、脚本に合わせていっぱいものを作ってあんだけど、「やっぱりこれいらない」とか(笑)。だから、そんときのカンだよね。あんまり台本どおりにやろうとすると、流れとか雰囲気と違う、ってこともあんのよ。そういうときに「やっぱりやめる」ってなっちゃうの。

pp.52-53

スタッフまでだまして演出

呑み屋のシーンで、スタッフまでだまして撮ったもんね(笑)。照明さんがネタわかってると、照明をちゃんと当てちゃうから、その役の奴に。店の中に、はじめから客がいるんだけど、そいつはエキストラ扱いにしてあんのね。で、おいらが奥に座るんだけど、あとから入ってきて、こっちがたに座って、じっとにらむ。あとから入ってきて見ると、こっちからヤクザが入ってくる。普通のサラリーマン的な恰好してんの。でも、わざとサラリーマンの恰好してるな、いきなりこいつは撃ちだすな、って感じなんだけど。

それで、スタッフもだましたのよ。本番になったら、その、最初からいるエキストラが撃ちだす(笑)。照明さんが「ちょっと待って!そっちに照明を!」「いいんだこれで」って。照明さん、ポカンとして、「いや、だまされちゃったよ」って。画的にはやっぱり、そのヤクザが撃つとみんな思う、そいつに照明当たってるから。ところが、逆のほうから火花が出たんで。

p.57

絶対に「いいギャグだね」とは言わせない

要するに『みんな〜やってるか!』って映画は、映画、役者、あらゆることをバカにしてるわけで、ギャグ自体もバカにしてんの。だから、絶対に「いいギャグだねえ」とは言わせない。コッテコテの、「しょうがねえな」「ひでえなこれ」ってギャグを、わざとやってんの。だから、当たるとか当たんないじゃなくて、撮っとくべき作品なんだよ。こういうものを作っとかなきゃいけないのは、間違いない。それだけでも価値ある!(笑)。

なんのために作っておかなきゃいけないのかというと、それはあのー、くだらなくて、なんの意味もなくて、センスがなくて、っていうことが、年月が経つと、意外に、現代アートの象徴作品になる可能性がある。(マルセル・)デュシャンの便器と同じなんだ(笑)。だから、この映画を観直してるとさ、倒れるぐらい笑っちゃうときあるのよ。なんか笑いが止まんないときあるでしょ、つまんないネタなのに。それなんだよ。だから、いちばん嫌いな言葉は、「さすがお笑い出身だからギャグが洗練されている」とか。そういうのは一切無視して、「何してんだこいつ?」っていうのがいいんだ。

だから、あとで考えりゃ、ずいぶんむちゃなことやってんだけど、観直すとねえ、ほんとに下手でいいんだよね(笑)。ギャグのいいかげんさとかね、ネタのマヌケさとかね、どうも、よくできてんなあと思うんだけど。

『ソナチネ』の反動

だって、あのときのことを考えたらさ、片っぽで、かなり先進性を重視したヤクザ映画を作ってんだから。その反対で、先進性もなんにもない大バカ映画をやっとかないと、その次、撮る気になれねえんだ。

pp.61-63

自分の絵を使ったのは

だから、ストーリーは、そんなに考えてないよね。夫婦のロードムービーを撮るって決めて、遡ってじゃんじゃんエピソードを入れていくと、結末に向かっていくことばっかり考えるから、ああいうふうになるっていうか。当然、刑事には同僚がいるだろうとか、かみさんと旅行するには金が要るけど、そのために銀行強盗しなきゃいけないような状態になるとか。ケツから出発して、じゃんじゃんじゃんじゃん増えていったっていうか、大きくなっていったね。

ただ、車椅子になってしまった同僚が、絵を描くじゃない?あれはね、絵ありきでね。あれ、ちょうど自分が交通事故で身体イッちゃって、復帰したんだけど調子悪くて、「絵でも描くか」っていうときに描いてた絵なのね。車椅子になった刑事も同じ状況にあるかな、ということで、うまく当てはめちゃおう、って。もう絵があるんでね。そしたらなかなかうまいことはまったしね。その前に、そいつにどうやって金を渡すかっていうのをいろいろ考えると、「絵の具買ったらどうだ?」とかね、うまくつながってきたのよ。

だからやっぱ、発想的には簡単にやったっていうけども、地ならしみたいなのが前からあったのかもわかんないね。絵を描いてたのとか、自分のリハビリの間にそういう経験があって、いつの間にか映画に入ってきちゃってる、っていうのもあるかもわかんない。

pp.86-87

アートを意識したのは漫才以降

だから、その頃はアートって、あんまり興味なくて。やっぱり、漫才やったあとじゃないかね、絵なんて描いてんのは。まあ事故のときもあったけど、やることなくて。でも、漫才師になって、浅草のコメディアンになったときから勉強が始まったとこあるね。文学的なこととか、アートとか。それより前は、全然気にしなかったけど。

結局ね、俺んちぺペンキ屋だから、よく塗らされたのよ、トタン屋根とかさ。あれがヤでさあ。芸術ではないんで。現実の話、職人だからね。うちの父ちゃんなんか刷毛1本で塗っちゃうんだけど。もともと漆職人だし、工芸品のやつ。だから、絵描くとか、芸術に憧れてるとこあるけど、何をしていいか全然わかんなかったんだよ。何が芸術なのかもわかんないし。

でも、芸人になって・・・・・・・漫才でもコントでも、一般の社会のレベルがあって。そのちょっと先の、水先案内人のような位置で、ギャグを言うと笑うんだよね。あまり先のほうはまずいんだよ。頭がおかしい人になるから。ちょっと先に光を当てたギャグはウケるけど。いちばん最悪なのは遅れてる人(笑)。お客よりも遅れたセンスでギャグを言う奴がいるじゃない。浅草、その典型で、「もうやめたほうがいい、こいつら」と思う奴がいっぱいいたの。だから、「俺のは、これよりゃいいよ」っていう感じがあったから。

で、ウケだしてくると、客が自分を追い越しそうになるんだよ。だから徹底的に逃げ回らなきゃいけねえっていうか、リードしなきゃいけないんで。そのへんでなんかね、芸術みたいのを意識しだしたっていうかね。表現とかね。感覚的にだけど。

pp.188-189

芸術は権力者の下に残る

その時代に大金持ちが現れない限り、芸術家なんて大したもん作れないんだから。昔から、権力者がいるところにすごい芸術が残るでしょ?貧乏人だらけのとこには、何もないでしょ?やっぱり、クフ王やなんかのすごさっていうのは・・・・・・あの大権力者は、4、5千年前で、エジプトの観光、いまだにあれで食ってんだから。だからエジプトのファラオというのは、いまだに大衆を食わしてるという偉い人なんだよ。日本の吉村作治まで食ってんだから(笑)。スフィンクスとか、ピラミッドとか、エジプトだけで儲けてる奴がどれだけいるんだよ、学者で。

だから、独裁者であるべきなんだよ、リーダーってのは。民主主義のいちばんよくないのは、理想として、「本当の民主主義を実現しよう」って言う奴がいるけど、そりゃ間違いなんだ。建前上は民主主義なんだけど、実際は独裁者じゃなきゃダメだよ。

いいか悪いかを常に多数決で決めてたら、ロクなことないんだから。国会議員は、そりゃ多数決で選ばれたんだから、それの作った内閣だから民主主義だって言うけど、そんなバカな話はなくて。衆愚政治になる可能性もあるわけだから。圧倒的な独裁者じゃねえといけないんだよね。

pp.235-236


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