からくり時計
大村市にある『天正夢時計』についてちょっと調べることがあった。ボスの指令だった。
調べろというからには何か思惑があってのことで、その触りを聞いたけれど興味がわかない。何かが”有る"より”無い"ほうが好きな場合が多い私の思考のクセでもある。
でも上司の指示なのでちょっと調べたり、市役所に問合せの電話を入れてみたりした。
話がそれるけれど、うちのボスの指示というのはすごくわかりにくい。調べる対象の何が知りたいのかをはっきり言わなかったり、いつまでにその情報が欲しいなどを自分からは言わない。天正夢時計についても、何が知りたいのかよくわからず、興味がわかなかったせいでハイハイと適当にうけおってしまった。
インターネットで設置された年やある程度の経緯などの情報を得てから、市役所に電話をして問合せ部署を調べてもらった。自分が面倒がったこともあって相手も面倒だろうなと勝手に思い込む。担当部署で話の通じる方が外出中で、戻り次第の折り返しとなった。
夕方、担当者の方が電話をくれた。このごろの行政機関の対応に不満を感じていた私は、通話口の向こうの人柄に、いくらかの不安を感じながら応答すると、とても感じがよかったのですごく驚いてしまった。いくつかの思い込みのせいで、失礼をしてしまった(心の中で)。
この時計が設置されたのは30年ほども前になるから、詳しい資料などは失われているし、こちらでわかるのはこのくらいですというのをすごく丁寧に説明してくれた。それでも良ければ電話をくれればできる限りの説明を差し上げます、とも言ってくれた。声のトーンや話し方、スピードどれも感じがよかった。因みに、ボスが知りたかった情報は教えてもらった分でじゅうぶんだったみたいだ。
30年。当初は興味がわかなかった仕掛け時計のことを考えてみた。屋外に設置してあるこの時計は壊れたりしないんだろうか。部品などは国外に発注したものもあるかもしれないとのことだったけれど、資料がなければ修理とかいうのも大変ではないのか。色々と気になってきた。
でもそれを言うとヨーロッパなんかにある大型の仕掛け時計なんて、30年どころじゃないのだ。うーん、意外と奥が深い。
天正夢時計/大村市
今年の5月にいくつか調査に行った中に、この天正夢時計が設置してある場所にも立ち寄っていて、それで手元に写真があった。トップ画像の「日本二十六聖人乗船場跡(東彼杵)」からスタートし、ここをゴール地点とした。
この時計は天正10(1582)年に天正遣欧少年使節としてヨーロッパに派遣された、4人の少年の偉業を祈念している。平成2(1990)年にJR大村駅のそばの天正夢広場というところに設置されて、現在この敷地は『ミライon図書館』という名称の、県立図書館になっている。
なんてことのない時計塔だった。
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