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紅白の飴と黄色のタオル

 神社の除夜祭に行こうかどうしようか、気もちが決まらないまま結局今年は行かずじまいになった。ここ数年の御神札は除夜祭が終ってから求めていたので、ちょっと落ち着かない気分になったけれど、焦らず年が明けてからでもいいと言い聞かせ、大晦日を過ごした。
 けれど、ちょっとしたことから気分が変わって、夕方車を走らせ、ときどきお詣りする神社に行ってみることにした。
 初詣の幟がたっていたけれど、大晦日の夕方の神社はひっそりと静かだった。駐車場に車を停めて、階段を上がる。今年の御神札を納めてから、手水で清めて参拝をした。
 受付には宮司さんらしき人が座っていて、窓の半分にはもう幕を下ろしていたのでどうしようかとおもいつつ、近づいて頭を下げたら開けてくれた。御神札の授与をしてもらえるかどうか訊ねたら、いいですよと言って出してくれた。よかった。
 必要な御神札と、車に下げるお守りとを選んで、包んでもらう。それらを手渡してくれながら宮司さんが「飴とか食べますか?」と言うからきょとんとした。飴って何だろうと不思議におもったけれど、せっかくだからハイとこたえると、出してくれたのは七五三の千歳飴みたいな紅白の飴だった。閉門を過ぎているのに、とても親切な対応をしてくれてほっとした。鳥居にお辞儀して振り返ったら、目の前に岩屋山があった。

 車を出して、すぐ、ある時期にここの神社に毎月参詣していたことを思い出した。日にちを決めていて、ある理由からそうしていたのだけれど、そのとき感じていた神社の空気と自分の心情がよみがえってきて泣き出しそうになった。やはり神に向かうときというのは、自分の内にある何ごとかと向かうときなんだなと改めておもった。

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 そのまま、もう今年は諦めたとほとんど匙を投げていた洗車をしに行った。大晦日の日暮なんだからもういい加減少ないかもしれない、そんな考えもあった。
 洗車場リストのうち、わりと人気のなさそうな場所を選んだのだけれど、洗車機には数台が並んでいた。まあいい。そこでは手洗いのしか使ったことがなかったし、シャンプーも積んでいた。手洗いコーナーには1台もいなかった。
 適当に汚れを流し、シャンプーしてまた流す。びしょびしょになった車を拭くのを面倒と思いつつせっせと水気を切っていたら、声をかけられた。見ると軽自動車を洗車したばかりの女性で、拭きあげ用のタオルのない洗車場だと知らなかったらしく、困っていた。
 私はどうしてだか洗車用のタオルを満載していたので(10枚以上ある)、どうぞどうぞ好きなだけ使ってくださいと言って出したら喜んでくれた。
 女性は黄色のタオルを選んだ。

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今日の「ごあいさつ」:大晦日です。相変わらず散らかり記事ばかりだけれど、今年もたくさんの方に読んでもらえてうれしいです。みなさん、どうもありがとうございます。「良いお年を」合戦があまり好きではないけれど、書いたものを読んでもらえるというのはやはりうれしいし有難いことなので、ひとこと感謝のご挨拶とさせていただきます。来年もどうぞよろしくお願いします(ほんとに)。

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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