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1週間前の11月7日は、ド・ロ神父の命日でした。その日、用事があって午後から外海地区に出かけていました。先月その近所で撮った写真もそのままにしていたし、命日までにちょっとした記事にしたいな、と思いつつ、1週間が過ぎてしまいました。 しっかりした記事を書く余裕がないけれど、これ以上日をあけると機会を逃すので、記念ということでちょっとだけ書いて、写真をつけておきます。 * ド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)は、1840年3月27日にフランスのバイユー近
宗教のことを考えていて、ふと、長崎の外海地区でいろいろと貢献をしたド・ロ神父にも悪魔憑きの話があったな、とおもいだした。そのエピソードが書いてあったのは、1965年に出津教会が発行した冊子だった。 それは明治13(1880)年ごろのことで、樫山という村の15歳ほどの娘が奇妙な症状をみせるというのでド・ロ神父が呼ばれた。ナセという名のその娘は、自宅にいながら漁に出た父親の様子を話しだす。父親が戻ってたしかめてみるとそのとおりだった、とそんなふうだった。 ド・ロ神父が出津
先週末に予定があった、個人的、かつたのしみにしていたイベントは、寒波の襲来で交通事情に不安があったものの、問題なくたのしみにしていた以上の時間を過ごすことができました。 その余韻みたいなものにひたっていたら、きょうはもうクリスマスで、そのクリスマスの12月25日ももうのこり1時間です。 * 旅のことで書いてないこともあるし、書いておきたいきもちもありつつ、心がうわついたまま時間が過ぎていきます。でも、少しでも書いておきたい、と指を動かしてキーボードをたたいています。
先日のこと。 ある修道会のシスターと接する機会がありました。いくつかの興味深い話を聞かせてもらい、そうしながら絵葉書やロザリオなどを持たせてくれました。 この絵葉書の画題は、結び目を解くマリア(Maria Knotenlöserin)と言うのだそうです。 ヨハン・ゲオルク・メルヒオール・シュミットナー(Johann Georg Melchior Schmittner)という、ドイツ人教会画家によって描かれたもので、原画はドイツのアウクスブルクにある教会(修道院?)に
前回の記事で外海のことをちょこっと書いたんだけど、昨日からは平戸の資料をあれこれ探して読んでいるところ。 それぞれの地域に共通する信仰形態に「かくれキリシタン」がある。 共通するとはいっても、成り立ちに違いがあって、それゆえ中身もけっこう違うものになっている。 私はどちらにも詳しくはないのだけれど、とくに平戸方面のかくれのことはよく知ろうとしてこなかった。 平戸島の北西部と、平戸島の北西にある生月島のエリアのこととなると、意識がなんとなく拒否をするし、そのあたり
ある目的のためにいくつかの文章を書くことにした。このnoteみたいに、好き勝手に何でもかんでも書いていいわけではないものなので(あたりまえ)それなりのものに仕上げたい。 それで日々調べものをしつつ、確認しつつ、噛みくだいたり、上下左右に付け加えたり、あるいは削ったり、みたいなことをやっている。 それは教会まわりの色々で、資料がわりと豊富なところもあれば、手持ちがないこともある。資料に使えそうなものはなんでも目を通すよう心がけているんだけれど、そんなもののひとつに教会
ちょっとした報告用の資料をつくるのに手をかしてほしい、というので外海地区を訪問してきた。今日はたいへんな晴天だった。 提出用として(スマートフォンで)ささっと写真を撮って聞きとりをしたあと、少しだけ自分用にも写真を撮ってきた。 ちょっと前に、明治にこのあたりでいろいろな活動をした、パリ外国宣教会のド・ロ神父の手がけた建築物のことをちょっと書いた。何度も訪ねている場所だけれど、今日はまた知らずにいたその特徴のいくつかを見つけて、気もちが少しおどった。 このところ、あ
前回に続いて利用した宿の回想録をつけていく。 * 佐世保、平戸の県北地域が目的地の行程をこなすため、予定を立てた。最初の目的地は西海国立公園九十九島における最大の島、黒島だった。 相浦という港からフェリーボートを利用して島に渡る。1便めがけて、他の都合などとの兼ね合いでTという町を前泊地に設定しておいた。 仕事を片付けて出発したころは雨模様だった。翌撮影日の予報は晴れであったけれど、それでもやはりちょっとした不安がよぎる。 不安を感じていてもおなかはすくわけで、
ある仕事のプロジェクトでいくつかの土地をまわり、いくつもの場所で撮影をする旅をしたことをここ数回の記事で話題にしている。 旅には宿泊が伴う場合が多い。今日はこの一連の旅において利用した宿について、回想をしながら書いてみようとおもいたった。 * 下五島では2泊した。当初のスケジュールでは、週を隔てて上五島エリアを目的とした日程が先にくるはずだったのだけど、天候などの関係で下五島エリアと入れ替えたことから、そんな調整がいくつか必要になった。 入れ替えた日程での宿探しは
およそ1年ぶりくらいで天草に行ってきた。長崎から熊本の天草まで行くのにいくつか手段のあるなか、前回と同じ南島原市口之津の港からフェリーを利用した。 天草に行くのは3度目で、初めての訪問で兄のとこのチビふたりを連れて行ったときのことをふと思いだした。 いま上の女の子は15歳、下の男の子はもうじき13歳になるけれど、天草に連れて行ったときはたしか10歳と8歳だった。そのときは長崎市の茂木という港から出る船を使って、乗船時間は45分くらいだったとおもう。ふたりとも船に乗るの
普段より移動が多く、やることの範囲も広く、人と会うのもやりとりも活発、そんな日々が続いています。 だからといってくたびれているかというと、意外なほどそうでもないのです。緊張する場面もあるし、それは適度にストレスとなっているはずだけれど、ネガティヴな感じはない。ものごとが進んでいく充実感と、ひとつ一つが終っていくある種のさみしさとのはざまにいます。 ずっと前に友人が、エネルギーは循環させることで活発化する(だからストレスや疲労感としては現れない)というようなことを言ってい
西海市大島町にある太田尾教会は、気になりつつも未訪問の教会堂だった。大島は遠い。わりと最近行った気でいたけれど、前回の訪問は1年半ほど前だったよう。遠いな、とおもいながら行くことにしてみた。 車をどんどん走らせて、大島大橋を渡ると寺島に入る。そこからまた寺島大橋という橋を渡った先が大島(大島町)である。太田尾教会は島の西側にある。 写真でみたことのある外観だ、とおもいつつ、堂内に入っていく人があったから続いて入ってみた。地元の信徒の方とおもわれる方がその来訪者に説明を
そういえば2週間ほど前、久しぶりに平戸を訪ねたんだった。 平戸市は県北に位置していて、長崎市内から行くとなるとまあ車を3時間弱運転しなくちゃいけなくて、なかなか行こうという気が起こらない。大村湾に沿って北上し、佐世保を抜けて西寄りに伸びた大きな島が平戸島で、平戸大橋を渡って島を目指した。 お尻がおもたかったけれど、しばらく訪ねていなかったのと、教会堂の写真でいくつか撮りたいものがあったので、行くことにした。やっぱり遠かった。 平日だったけれど、ちらほらと観光客の姿
ひと月ぶりに外海方面へ行ってきた。気温がぐっと下がった週で、今日もとても冷たかった。訪問前に、外海に持っていく荷物を積みに事務所に向かう途中、しばらく放置していた洗車をしたら、拭き上げのときに手の感覚がなくなるほど冷たくって、気を失うかとおもった。 それにしても天気がよく、そのうえ空気が極上に澄んでいた。はじめに行った教会のそばから海のほうを眺めると、五島列島がしっかり見えた。 ある事情でしばらくお休みをしていた竹尾さん(仮名)が今日の当番だった。挨拶をして荷物を下ろ