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こちら側とあちら側

 ひと月ぶりに外海そとめ方面へ行ってきた。気温がぐっと下がった週で、今日もとても冷たかった。訪問前に、外海に持っていく荷物を積みに事務所に向かう途中、しばらく放置していた洗車をしたら、拭き上げのときに手の感覚がなくなるほど冷たくって、気を失うかとおもった。

 それにしても天気がよく、そのうえ空気が極上に澄んでいた。はじめに行った教会のそばから海のほうを眺めると、五島列島がしっかり見えた。
 ある事情でしばらくお休みをしていた竹尾さん(仮名)が今日の当番だった。挨拶をして荷物を下ろし、近頃の様子などを伺う。竹尾さんは、あまり自分からあれこれと話すほうではない。
 それでもそばにいると少しずつ口を開いてくれて、今日聞いたうちのひとつはこんなことだった。

 ここの教会は、建物の年齢などの事情から、一般の方は御堂の中に入ることはできない。その代わりというか、毎日雨戸と窓を開放して覗き見ることができるようになっている。正面玄関の一部はガラス張りになっているから、そこからも堂内の様子を見ることができる。
 来訪者に向けて、御堂に入れないことはアナウンスしているけれど、そういった情報を見落とす人もいる。見守り業務の竹尾さん方は、いちおう人が来るたびにも伝えてくれているけれど、ちょっと目を離すと扉を開けようとする人がいるとのことだった。
 神社や寺院と比べると、教会堂というのは基本的にいつでも開いていて、基本的には誰でも御堂に入っていいという場合が多い。ただ、日本人の感覚から言って、神域において閉ざされたものを勝手に開けるというのはちょっと臆するものだとおもう。すぐそばに関係者らしき人が立っているのだから、ひとこと声をかけるなどもあっていい。

 いま私が関わっているこの方々らは、来訪者の多い教会の見守り役としてそこにいる。場所によって、つまり従事に関わる人によっては違うこともあるけれど、彼らの土地では従事するほとんど全員が「見守る」ことを役割とし、「監視」というのと少し違った態度を持っているから、竹尾さんもこのことを教えてくれたときには苦笑しながらというか、まあそういう人もいるんですよ、というニュアンスだった。

 私はこういう話が聞きたい。どうも些細でわざわざ報告するようなことでもなく、かといってそこにやってくる人がどのような行動をとっているのかを知ることができる、そんな内容のものごとが聞きたい。
 他の場所を含めた、教会堂への来訪者たちの言動のうち、ときどき耳にするのは「教会は開かれた場所でしょう」というものがある。つまり、だから中に入ることができるはずである、と言いたい人が発するのである。私もきちんとその意味を理解しているわけではないけれど、「開かれた」はそういう意味合いではないだろう、とおもう。神の家がどういうものであるかとか、教会が教えていることがどのようなことなのかとかに自分を開こうという気のない人には、いくら「開かれた場所」であっても通じ合わない何かがあるのかもしれない。
 境目についてのあれこれが心に残った。

 ・・・いや、今日はもっとのんびりとしたものを書きたかったのだった。というわけでここらへんでやめておいて、次である。

 竹尾さんとしばらく話したあとは、少し離れた場所の別の教会へ行った。御堂に入ると、何かが入った箱が置かれていた。なんだろう、とおもったら枯れ枝であった。これは? と訊ねると、こちらの今日の当番の山川さん(仮名)が教えてくれた。箱に入っているのは、聖別されたソテツの枝、すなわち前年のご復活前の枝の主日に使われたもので、これから迎える復活祭前の灰の水曜日のためのもの、ということだった。
 枝の主日というのはイエス・キリストがエルサレム入城をした記念日を指し、本来は棕櫚なんだけれど(Palm Sunday)、育ちにくいのかソテツが用いられている。
 山川さんは、もともと神父を志していた人で、教理にも詳しい。枝の主日のことや灰の水曜日について、やさしく教えてくれた。
 こういう話も、私は聞くのが好きだ。これは彼らにとっては日常で、こんなこと(というのはこのような仕事をし、このような人たちと知り合うこと)がなければ聞けない話だからだ。本や資料で読むのと違う、日常としての宗教や歴史のことを話してもらうとき、気もちがなごんでくる。

ソテツの枯れ枝

 山川さんの話を聞いたあとは、今日は非番の高梨さん(仮名)が近所をちょこっと案内してくれた。むかし絵踏みがおこなわれた庄屋跡や、ド・ロ神父が積んだ海辺の石垣、仮聖堂の跡や大村藩と佐賀藩の傍示石ぼうじせきの痕跡などだった。
 傍示石とは藩の境界を示すものである。ここら辺はむかし大村藩の中に飛び地で佐賀藩領があったため、こういったものが残っている場所がいくつかある。
 というわけで、なんとなく「境目」「境界線」というところでつながった(ことにしておく)。

 高梨さんが案内してくれたいくつかの場所は、あらためてよく調べて記事にできたらいいとおもっている。

 ところでキリストのエルサレム入城といえば、ジェームズ・アンソールというベルギーの画家による『キリストのブリュッセル入り』という絵画が思い出される。あれは、なんというか、言葉が出ない。

*

今日の「チカチカ」:路面電車の行先表示にLEDを搭載した車両が走るのを最近見かけるようになりました。私の見えるほうの片目はわりと視力がいいのだけれど、LEDだと遠くから走ってきた車両の行き先を確信できないからやめてほしいです。

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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