君の"死にたい"はきっと肯定される。

「なんで死にたいの?」「メンヘラとかマジで無理だわ。」「死んじゃダメだよ!」「じゃあ死ねば?」

君はどれほどこんな言葉たちに苦しめられてきたんだろう。それとも誰にも言ってない?自分のキャラを崩したくない?わかる。

でも誰も悪くないから自分のせいにして、生きていたくないとか、もう消えたいとか思うんだと思う。死にたいって思ってるってことは、誰かのこと恨んでいたとしても、結局は自分を一番恨んでるんだと思う。でもそれって変えられる、変えられないの問題じゃないんだよね、どうしようもなくって自分が一番苦しいんだから。

だから私は死ぬなとも言えないし、だからと言ってじゃあ死ねばなんて口が裂けても言えないし。私から一つ言えることは、君の「死にたい」はきっと肯定されるってこと。

「死にたい」は、人間だからこそ思える欲求だと思う。だって、人間以外の動物が「死にたい」なんて想像つかないだろう。これはもしかしたら人間中心主義的な考え方になってしまうかもしれない。でも、自分は少なくとも人間(これも私たち人間が勝手に振り分けてる生物の名前に過ぎないけれど)で、もし人間としてカテゴライズされているなら、思いっきり人間である方がなんとなく人間である意味を見出せるんじゃないかと思う。(意味を見出す癖も人間味って感じだけど)

生きるのが不安で不安で仕方ない。もう辛い。そしてたまに理想をみる。理想を見て、現実世界に引き戻されてまた明日が不安になる。怖くなる。嫌になる。ああ苦しい。

わかる。ものすごくわかる。

生きているのも不安で、かといって死ぬのも実は少し不安。なんて生き地獄。

私は理想を達成したことがある。でも実はその「理想」の中にも不安はあった。「理想」の中に生きる光も見出そうとすればするほど、今度は逆に「理想」に押しつぶされた。私はこのことに気づいてしまってから、常に不安でいっぱいだった。生きているのか死んでいるのか、今は理想の中にいるのか、はたまた理想とは何か。何もわからなくなって頭がどこにあるのか、心はどこにあるのか、私は本当に人間なのかって毎日混乱してた。だけども一方で理想は「ひとらしく」いるための「生きる」支えになる「世界」なんじゃないかと思う。だから理想は君を蝕んでいい存在じゃないし、でも、それに押しつぶされて死んでしまったとしても、それは君が理想を知っていて、あまりにも理想にとけこんだ結果であって、何も負けたとか、そんなわけはない。理想を理想だと知っていることは君が「人間」である証拠だし、もしかしたら、皮肉にも「その瞬間」がようやく「人間」として完成した状態なのかもしれない。

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