ふるむん

高校生の頃から初めて早三年。noteやってる自分が痛すぎることわかってながらやめられな…

ふるむん

高校生の頃から初めて早三年。noteやってる自分が痛すぎることわかってながらやめられない女です。

最近の記事

「言語の異文化」から見た、私たちの異文化理解について

 現代ではグローバル化が進み,異なる文化をもつ人と接触することが増え,異文化との接触が日常化しつつある。私たちは,異文化理解ということを理解し,互いに異なる文化的背景を持つ者同士,違いに対して寛容で, 相互を尊重する態度が必要なことを理解しているつもりでいる。だが,相互には共通するものがあり, 基本的なところでは,話は通じると考えているのはないか。しかし,それは本当だろうか。  たとえば,相手に感謝を示す「ありがとう」という言葉がある。どんな文化を持つ人も,おかしいと感じる人

    • 洗脳ってよくわからない

      私は今中国で留学してる。思想っていうのを直に体感させられるところにいる。 そこでふと洗脳ってなんだろうって頭に浮かんだ。 私の周りはたくさんのバックグラウンドを持った人たちがいる。留学生と一緒に過ごしていると余計にそれを感じる。 ああ、"バックグラウンド"はすでに洗脳かもしれない。 どこに生まれたか、どこで育ったか、どこの国籍か(もし国籍が自分が生まれ育った地でないのなら余計にその国籍の存在を気にすると思う)誰が親か、どこの学校か。 "言葉"を使う環境にいる限り、洗脳はある。

      • 私の大嫌いな今ドキでウザくて女々しいMy Hair is Badが頭から離れない話

        私はMy Hair is Badが大嫌い。いかにも大学生って感じの、自ら感傷に浸りにいく自称エモ系大学生が聞いてるみたいな、イタくて女々しくて、キモい、一歩間違えればただの勘違いラブソングになっちゃうような曲ばっかりだと思ってたから。 あぁ、なんてことだ。マイヘアのHome Townが頭から離れない。 最初は、どこにこんな男がいるんだよって思ってた。YouTubeのコメント欄には「元カレのこと思い出しちゃった」とか、「好きな人と一緒にこれ聞けたとき幸せだったな」とか、羨ま

        • 英語教師はプロとは限らないかもしれない話

          そういえば、高校の時塾の先生が、Petをペットと訳すなと言っていた。ペットは外来語だからと。だから愛玩動物と訳しなさいと。 塾界隈では有名講師でもあるし、当時は言われるがまま、なるほど確かにと納得して赤で直したが、大学生になって海外に行ったり異国の人々と過ごしたり、外国で生活したりするにつれて、気づいたことがある。日本や韓国などアジア地域(特に東アジア)では確かにペットは愛玩動物の傾向が高いが、欧米諸国では比較的パートナーやバディとしてみられている気がする。結局のところ人によ

        「言語の異文化」から見た、私たちの異文化理解について

          向坂くじらさん

          今日、NHKのおはよう日本のコーナーで、「思考を自分の外へ」をモットーに、詩を通して"悩みを抱える若者"と交流している向坂くじらさんが特集されてた。彼女は、やりたいことが見つからず、自分の内面を見つめ続け行き詰まる人たちを見てきて、こう言う。"よく、「自分を振り返って」とか、「自分に眼差しを向ける、向き合う」とか言うけれど、そうすると結局、自分にはなにもないっていうふうになってしまう。そこからやりたいことやできることを探してもしんどいばっかりになる。"と。 無意識のうちに自

          向坂くじらさん

          北京大学に入っても私はずっと劣等感

          私は北京大学の学生。 北京大学と答えればみんな、口を合わせてすごい!って言ってくれる。 でもやっぱり私は同じ劣等感のレベルにいる。なんでこんなにできないんだろう。なんでこんなに劣ってるんだろう。上には上がいる。本当にキリがない。たとえ北京大学に入れたとしても、私より頭も顔もスタイルも性格も、面白さも全てにおいて優れてる子がゴロゴロいる。なんのために生きてるんだろう。なんで頑張ってるんだろう。なんで?なんで?どうしたいの?そう思うばっかりで、でも現実はどうにもならなくて。理想と

          北京大学に入っても私はずっと劣等感

          君の"死にたい"はきっと肯定される。

          「なんで死にたいの?」「メンヘラとかマジで無理だわ。」「死んじゃダメだよ!」「じゃあ死ねば?」 君はどれほどこんな言葉たちに苦しめられてきたんだろう。それとも誰にも言ってない?自分のキャラを崩したくない?わかる。 でも誰も悪くないから自分のせいにして、生きていたくないとか、もう消えたいとか思うんだと思う。死にたいって思ってるってことは、誰かのこと恨んでいたとしても、結局は自分を一番恨んでるんだと思う。でもそれって変えられる、変えられないの問題じゃないんだよね、どうしようも

          君の"死にたい"はきっと肯定される。

          名乗ることなんてただのエゴなのに、ない名乗りをわざわざ作って名乗ろうとする人たちが最近多い。ドナルド・トランプを批判しながら、大正義だと信じて疑わず戦うんだよね

          名乗ることなんてただのエゴなのに、ない名乗りをわざわざ作って名乗ろうとする人たちが最近多い。ドナルド・トランプを批判しながら、大正義だと信じて疑わず戦うんだよね

          おとな

           みんなおんなじ人間で、男か女のどっちかしかいないのに、みんながみんな、違うジブンを生きてる。  みんな違うのに、男か女しかいなくて、みんな人間だ。  「男か女しかいないなんて多様性への冒涜だ!」 そんな声を上げるニンゲンがいるかもしれない。  けれど、ヒトに向かって、ヒトが「人間しかいないなんて多様性への冒涜だ!」なんて言う人はいない。  みんな文句ばっかりだ。  子どもたちは、まだ、未熟な人間なのに、 人間になろうと、考えるんだ。  正義を声にあげるのは、ただの悪だ。(

          わたしたち

          こんな小さな画面で たくさんの世界が見えて こんな小さな結晶板で たくさんの人生をつなげて こんな小さな中に               こんな大きくつながってる。 たくさんの輪がある。 ありふれた生活だけど やっぱりわたしたちだから こんな世の中で それでもヒトはつながり続ける 死にたいのに つながり続ける たとえ希望がなくなっても 思うことはしてしまう 考えたくなくてもヒトは生き物なんだよ

          わたしたち

          世間の需要と自分の需要って本当違うものだなあ。はあ。

          世間の需要と自分の需要って本当違うものだなあ。はあ。

          あまりにも自分がブスで死にたいと思う私たちへ

           少なくとも私は自分の顔のせいで何度も後悔した。これは私のただただブスすぎて辛いという顔面への愚痴記事です。  高校選びは、ブスでも乗り越えられそうだと思い女子校にした。女子校って、男子がいなくて思春期に顔を気にしすぎる必要がないと思ったから。実際学校にいる時は自分の顔を気にせずに楽しく過ごせた。  でもやっぱり辛かった。可愛くなりたいと思う。おしゃれな服に、顔のせいで抵抗感を感じてしまう。着たいのに、私もインスタのお洒落な女の子たちみたいに着たいのに、でも自分の顔に自信

          あまりにも自分がブスで死にたいと思う私たちへ

          哲学者を名乗ることでインチキな自分を認めるのと同時に、矛盾するようだけど、本当に哲学者なのか?と思うなあ。 そう考えると哲学者は可哀想かもなあ。名乗らされてる人って感じ 「名乗る」ということほど人間らしくて気持ち悪いものはないよなあ。

          哲学者を名乗ることでインチキな自分を認めるのと同時に、矛盾するようだけど、本当に哲学者なのか?と思うなあ。 そう考えると哲学者は可哀想かもなあ。名乗らされてる人って感じ 「名乗る」ということほど人間らしくて気持ち悪いものはないよなあ。

          薬物依存症だって現代病

          つながっていたい。現代病とも言えそうなこの過度につながりを求める私たちはそれを失ったとき、私たちは孤独に崩れていっちゃう。けれど、多くの人がつながりの本質を理解していない。あなたの考えるつながりは本当につながりですか。つながってるフリじゃないんですか。そう気づかせてくれる。 でも例えそれが本当のつながりではなくとも、つながってる錯覚だとしても人はつながりを求めるんだと思う。なんでもいいから独りになりたくない。そう思ってるからだと思う。つながりが絶たれると人は薬物にすがるのか

          薬物依存症だって現代病

          武士道のわたし的思うこと。

          私は特に古典作品でいえば山本常朝の葉隠れが印象的で、これは江戸時代の作品であり、武士道について主に語られるのだけど、戦時中に広く読まれた後、戦後はほとんど推奨されずに読まれなかった。けれども私は彼の有名な「武士といふは死ぬことと見つけたり」という一説に常々とても感心させられていて、この武士がいた時代、そして戦時中の「お国のために」精神は、現代の私たちにはない本当に一丸とした確固たる精神で、現代、平和に甘やかされてしまっている今にこそ読むべき、知るべき武士の、この古典文化だと思

          武士道のわたし的思うこと。

          目まぐるしい21世紀にココロが追いつかない私たちのための話

          何かわからないけれどいつも置いてけぼりにされそうになっている気がする。見えないけれど急いでいる。そう思うのは私だけじゃないはず。だから、そんな私のために、そして私に共感してくれる現代迷子のあなたに「ゆっくりのすすめ」です。  亀井勝一郎によれば、我々現代人の頭脳は「一種の知的デパートのような気がしてならない。」ようだ。私たちの交通手段は歩くこと以外に自転車や新幹線、様々な便利で手っ取り早い移動手段がある。それに対して昔の人々は自分の足でもって移動した。その分時間はかかるだろ

          目まぐるしい21世紀にココロが追いつかない私たちのための話