20歳で緑内障と診断された①
20歳の夏、コンタクトレンズを買いに専門店を訪れていた。コンタクトレンズのお店と眼科が併設しているタイプだったので、コンタクトレンズの商品説明後、すぐに眼科へ案内された。
コンタクトレンズの入れ方を教わり、恐れながら目の中へ入れる。眼鏡をかけていないのにくっきりと映る周囲に少し動揺した。
コンタクトレンズを目の中へ入れたら、眼科で診察を受ける。異常が無いかだけ確認して、すぐに終わる診察だと油断していたのだが、「ちょっと検査しようか」とお医者様は言った。険しい顔をしてモニターを見つめる先生と、ザワつく看護師を他所に何が起こっているのか理解出来ずにいた。
先生の指示で急遽、眼圧測定、眼球CT、視野検査を行うことになった。目に直接風を当てられたり、目をガン開きにしたり、眩しかったりと、とにかく不快な検査の目白押しだった。
検査結果を見た先生が「まだ20歳なのか…」と呟いたのをよく覚えている。
「緑内障です。」
病名に聞き覚えはあったが、どういう病状のものなのか分からなかったので、緑内障についての説明を受けた。
現在の医療では治せない、指定難病。
欠けた視野は戻らないが目薬などで進行を遅らせることは出来る。
20代の若い世代も最近増えているらしいが、
それでも割合は少ない。
逆に高齢者になると10人に1人が緑内障なんだとか。
コンタクトレンズを作りに来ただけなのに、
突然“治らない病”の情報を受け取り、
よくわからない感情のまま呆然としていた。
何より放置すると失明すると聞いて先の未来が怖く感じていた。眼科の待合室で両親にLINEを送り、何事も無かったかのようにコンタクトレンズを購入し、バスに揺られながら帰宅をした。
しばらくは「緑内障 失明」という単語で、Google先生に質問を投げかけていた。緑内障は、ゆっくりと進行するので、一ヶ月後に失明するわけじゃないと知り、少し胸を撫で下ろすが不安なのに変わりなかった。何より両親が不安そうにしていた。
「手術で治るのか?」「どういう病気なのか?」
私以上に混乱していたと思う。
父は特に心配していて、三ヶ月に一度の通院は車で送り迎えをしてくれた。
二回目の診察で、眼圧を下げるための目薬が処方された。毎朝、両眼にさしながら「これを一生するのか…」と少し悲観的になったりもした。
そこから一年半後に、大阪へ引っ越すことになったので紹介状を書いてもらい、緑内障を専門とする眼科へ通うこととなる。
次回、大阪でセカンドオピニオン!
②へ続きます。
追記
紹介状を書いてもらうため通院先の眼科へ電話をかけたら「何故ですか?」と高圧的な態度を取られ、関西へ引っ越すためと説明しても「そうですか…はぁ…」という感じの対応をされ、紹介状を取りに行った日も態度が悪くて驚きました。手続きなどが大変な業務なのかな…と思いながら、仮に地元へ戻ってきたとしても、この病院は二度と利用しないと心に決めて旅立ちました。
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