人生は邂逅なり
8月のある夜
アルバイトを終えた私は帰路の電車の中で1つのツイートを目にした。
[大阪マラソン SEASON TRIAL 2024
「10K&Fun RUN」に #佐野文哉の参加が決定👊🔥]
...なんだコレ
どうやら大阪マラソンのイベントの1つで、
ゲストランナーとして佐野文哉さんが参加されるらしい。
一般のランナーに混ざって、佐野さん初め他の芸能人の方々が走られるとの事。
大阪近いし、間近で走る佐野さんを見れる事なんてそうそうないだろうな。応募しよ。
間違って10K申し込んでるんだけど
実は私アルバイトで事前にあった配信を見れておらず、何の情報も得ないまま先程のツイートだけで佐野さんは10Kを走ると勝手に勘違いし、
10Kを申し込むという特大早とちりムーブをかましてしまったのだ。
流石に自分がアホすぎてこの時ばかりは笑うしかなかった。
(その後FunRUNも申し込んだ)
FunRUNの3.2kmは何とかなるとして、
10Kは練習なしでの完走はまず不可能。
そもそも今自分がどれくらいのペースで、
どのくらいの距離を走れるのかが分からない。
ていうか、ランニングシューズ持ってない。
「走る、練習しなければ...」
といった経緯で、私のランニング生活の幕が開けた。
無事ランニングシューズを手に入れ、
ランニングを始める準備は整った。
ランニング開始1日目
まずは今自分の実力がどれほどなのかを確かめる必要がある。
とりあえず走れる限界まで走ってみることにした。
結果は1.3km
流石に絶句した。
あまりの自分の走れなさに。
ヤバい、ヤバすぎる。このままでは完走は不可能。
私は人生で初めて、自分自身と約束を交わした。
[10km走れるようになるまで、絶対に毎日走る]
次の日から私は必ず走るようになった。
10Kを完走するため、そして自分自身との約束を守るため。
ランニング自体は8月に始めたが、8月の後半は海外に行く事が決まっていたので毎日走るのは厳しかった。
だが、9月は文字通り毎日走った。
友達と遊んだ日も、アルバイトで帰りが遅くなった日も、ダンスの深夜練があった日も必ず走った。
日付が変わり、深夜2:00台の人も車も通っていない大通りを走る日もあった。
7:00台のランニングコースで朝の散歩中の老人とすれ違いながら走る日もあった。
大学とアルバイトのハシゴでヘトヘトになりながら帰宅しても、カバンを玄関に置き、そのまま靴を履き替えランニングに行く日もあった。
ふと、「何をしているのだろう」と思う時もあった。
何度も何度も辞めたいと思った。
その一方で、走れる距離は着実に伸びてゆき、走れるペースはどんどん上がっていく。
いつしか10kmは余裕で走れるようになっていた。
私は睡眠時間を犠牲にして、10km走れる体力を手に入れた。
10K&FunRUN当日
自宅から2時間かけて長居スタジアムに向かった。
会場に着くと、ランニングウェアを着た選手達がストレッチをしたりアップをしたりしていた。
ただのTシャツに、高校の時のジャージを履いている私の格好が急に恥ずかしくなった。
「アウェーすぎる!ランナーガチ勢、怖いんだけど...
いや、ランニングイベントなんだからランナーが居るのが自然であって、オタクが居るのがおかしいんですけど」
などと心の中で独り言を呟きながら、とりあえず会場の写真を撮った。
元々極度の人見知り。
慣れない場所に1人で居ることが苦手で、誰か知り合い居ないかなと思っていると、
目の前をOWVのパーカーを着た女性が通り過ぎた。
知り合いではなかったため声は掛けなかったが、「お互い頑張りましょうね」と心の中でメッセージを送った。
ついに10Kの開会式が始まった。
いよいよ始まるんだと緊張していたら、
なんと佐野さんが登場。
佐野さんはFunRUNのみだと思っていたので、
10Kも走ると言われた時は、一緒に走れることに心が躍った。
後から知ったのだが、元々走る予定ではなかったのに、ファンのみんなが10Kも走ると聞いて、当日急遽走る事を決めたとのこと。
佐野さん、なんてファン思いなんだ(泣)
10K、応募してよかった。
みんなで準備体操をして、10Kがスタートした。
スタートから1kmが過ぎた頃、後ろから凄いスピードで抜いていったランナーがいた。
佐野さんだった。
速い、速すぎた。目立つ蛍光色のTシャツが一瞬で見えなくなってしまった。
興奮しすぎて、走りながらツイートした。
(絶対にやめなさい)
その後は1kmあたり6分のペースを刻みながら黙々と走った。
2周目のトラックに入ってすぐ
1人、誰かに抜かされた。
佐野さんだった。
「文哉ファイト!!!」
気が付いたら、そう叫んでいた。
周りにいたランナー達は一斉に私の方を見た。
すると佐野さんはわざわざ振り返って、
「ありがとう」
と私の5倍くらいの声量で返してくれた。
こんなに近くで佐野さんを応援できたこと、
一緒に走れたこと、ありがとうと言ってくれたこと、全部が本当に嬉しかった。
2周目から3周目に入る所で、既にゴールされていた宇野けん師匠(流石すぎる)とハイタッチもさせていただき、力を貰えたおかげもあって、
目標の1時間切りを達成してのゴール、無事完走することができた。
(宇野さんと無料でハイタッチさせて頂けたの嬉しすぎ 1,200円お支払いさせてくださいの気持ち)
走り終わったあと、佐野さんを呼び捨てにしたことに気付き、深い反省をした。
10Kを走り終えたあとは、FunRUNを一緒に走るQWVと合流した。
FunRUNは参加されるQWVさんもたくさんいて、10Kとは違い、アットホームな空間だった。
佐野さんと準備体操を一緒にして(2回目)いよいよスタート。
仲の良いQWVと横を走る佐野さんにきゃーきゃーしたり、途中で歩いて休憩しながらお喋りを楽しんだり、ゲストランナーのタイムキーパーひできさんと競走したりなど楽しみながら走ることができた。
その日の夜、13km走った後にも関わらず、
数日後に控えたダンスのイベントのリハーサルがあり、2時間ガッツリ踊り込みという、OWVもビックリのハードスケジュールもこなせ、本当に体力ついたんだなと感動した。
季節は変わり、秋。走りやすい季節になった。
私は10K&FunRUNが終わってからも、数日に1度
気が向いたらランニングに出かけるようになった。
佐野さんはよく、「走ることは別に好きじゃない、たまたま足が速いから走っているんだ」と言う。
私は佐野さんの口からこの言葉を聞く度、少し胸が苦しくなる。
私も昔、足が速いからという理由だけで陸上部に所属していた。
走ることは別に好きじゃない、なんなら嫌い
だった。
1度陸上を離れた時、もう一生陸上なんてやらない。そう誓った、はずだった。
そんな人間が、同じように感じている人からの影響で、もう一度走ることをはじめ、走る楽しさを知れた。
佐野さんは私にもう一度走る機会をくれた。
10K&FunRUNの写真をInstagramに投稿した。
すると、もう何年も連絡を取っていない当時の陸上部の先輩や同期達から何件もいいねが付いた。
コメントをくれた人もいた。
彼らはもう私の事なんて忘れていると思っていたけれど、陸上を通してまた繋がれたことが嬉しかった。
これも全部佐野さんのおかげだ。
本当に感謝してもしきれない。
あなたが私にくれた「ありがとう」
そっくりそのまま、お返しさせてください。