【論文】楼英与『医学綱目』(1986年)
1.生平【訳】
楼英(1332-1400)は、字を全善、公爽と称し、また全齋と号した、蕭山楼塔村の人である。
父の楼泳は文章を書くのが巧みで、多くの書藉を所蔵しており、これにより多くの本を読む事が出来た。
青年時期にはよく『周易』のことを話し、後にまた『内経』および前賢の名著を深く研究しながら、開業し患者をみていた。
【訳】
明の洪武の時代、人づてに推薦されて、南京にて治病にあたり、その治療成績がとてもよく有名となり、明の太祖(朱元璋)は引き留めて太医院医官に就任させよ