『アンリアルライフ』クリアしたのでメモ

『アンリアルライフ』をクリアした。

1.
 ドット絵(ピクセルアート)は、ハードウェアの発色数や、解像度、容量などの制約があったおかげで生まれた。
 この制約は短歌や俳句などの定型詩に似ている。
 ドット絵の風景画では、同じような景色(たとえばビル群)が絶えず生みだされているけど、そのどれもが不思議と魅力をもっている。
 ノスタルジーという言葉はまだドット絵を捉えきれていないような気がする。たぶんドット絵の本質は、制約から生じるある種のポエジーだろうと思う。
 ドット絵のゲームが雰囲気を大切にすることはこのポエジーが関わってきているように思う。

2.
『アンリアルライフ』の主人公のハルは絵を描く人間だ。
 最終的にハルは、美しく優しい作中世界(ハルにとっては心象世界でもある)を支えとして、絵を描きたいという思いだけで(つまり芸術の力で)、辛く厳しい現実を生きようとする。
 このことは、ハルの精神の一面が〈自分の中の世界を居場所にするなんて…惨めにもほどがあるよ。〉と言うのだけど、開き直ったハルは惨めかどうかは自分で決めると返答する。
『アンリアルライフ』の重要なところは、最後のこの会話付近に詰め込まれている。
 195は〈現実にも、きれいな花や美しい空はあるはずです。おいしい食べ物もあるし、優しい人だっています。〉、〈なにより、この世界を生きたその心で、それらを体験し、考え、感じ取ることができます。〉と言う。
 ハルは自分の感受性が「自分にとって」正しいことだということを、『アンリアルライフ』の旅で確信する。
 だからこの作品は、未熟な芸術家が、孤独であることの開き直りを描いたものだと言える。
 もしくは、生きづらさを抱える人間に対するメッセージでもある。

3.
 誰かにお話を聞かせること。
 インディーズゲームを発表すること、本を出版すること、音源を公開すること。これらは、目の前にいる誰かにお話を聞かせることの下位互換でしかないように思う。
 ハルは(たぶん)学校の先生になって、仲よくなった生徒に自作の物語を聞かせている。そして生徒は喜んでその話を聞いて、続きをせがんでいる。
 芸術家としてこれ以上の幸せはない。芸術家は自分が作りたいから作品を作る。そのとき、「誰かにために」という口実がつくこともある。これが口実にしかすぎないのは、芸術家は孤独であるがため、自分の作品が受け入れられることを半分あきらめているからだ。
 でもやっぱりどこかであきらめられない。それが孤独というものだ。
 だから目の前のあなたに受け入れてもらえることは、作家にとって、そして作品にとって最上の結果だ。
 そして、作中で「誰かにお話を聞かせること」を書くのは、芸術のありかたを理解しているからにほかならない。
『アンリアルライフ』は僕に向けて語られた話だった。

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久慈くじら
小魔術