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花壇と暖炉

 手応えがなく日々が過ぎ去っていった。新型コロナウイルス感染症はお上のお触れによって明け、ぼくたちは日常を取り戻すことになった。これのどこに手応えがあると思う? いつだって目に見えないものばかりに振り回される。おそらく流行り病などなくても変わらない、普遍的な脱力感を抱くことになった。
 生きるためにマスクを買い占める者もいれば、生きるために都市で農業をはじめる者もいた。ロンドンやニューヨークでは、アーバンファーミングという都市で農業をするという営為がトレンドになっている。老人が盆栽や植物を育てることに急に目覚めることをながく不思議に思っていたけど、孤独にあった日々はなぜか植物を育てることを欲していた。豆苗が数日で食べられる長さに育つことですらうれしかった。老人はこういう感慨で植物を育てはじめる。アーバンファーミングは孤独を癒やすと同時に、生きる糧すらも与えてくれる。もし持続可能な高等遊民がいるとすれば、都市で農業をし、太陽光で発電した電気でインターネットをして動画をアップロードしているだろう。
 土に種を蒔き、その育つのを待つか、暖炉に薪を焚べ、その燃え尽きるのを待つか。ぼくがそのどちらをしたのかといえば、おそらくは後者だ。しかしまだ、その火は燃えているような気がする。
 二〇二三年の上半期に書いた詩を選りすぐってまとめた。思った以上に少ない。悲しい。
 いま外で雷が鳴った。静かな時季が終わる。

(2023年6月15日20時58分・西陣)

新しく書きはじめるの詩

恐れおののくがいい
僕はこの白紙に
何の戸惑いもなく
新しく言葉を書きはじめる
あとできみに見せてあげよう

(2023年1月7日17時15分・西陣)


相似の肉体を持ち寄って

相似の肉体を持ち寄り
ぼくたちは
金属の塊を撃ち込んだり
皮膚のなくなるまで燃やしたり
魂をおろし金にかけたり

やあチケットは只ですよ
あなたも楽しまなければ
損というものですよ
と販売人はいうけれど

ぼくはどちらかというと
内気なおんなの子と
すこしだけ寂しい夜を
睡ったりしていたいし

書いた詩を褒められたり
してみたいなあ

(2023年1月11日22時53分・西陣)


手癖

楽器を奏でるように
手癖のフレーズがあれば
詩を書くことそのものが
手慰みになったりするのかな

きみは数えきれないほどの
星を捨ててきた
底で星座がつくられるために
ぼくのこの詩も捨ててあげよう

(2023年1月9日1時15分・西陣)


きみから剥がれ落ちた鱗

ある日素足で慣れないものを踏んだ
それからずっと貼りついているから
気になって足の裏を見てみると
虹色に遷光する小さな破片だった
見たこともないものだったから
きっと昨日はじめてうちに来たきみのものだろうと思った
そうか! きみは人魚姫だったのか!
だから裸を見せてくれなかったのだ!

(2023年1月17日1時42分・西陣)


カレーパンに入っているひとかたまりの肉

もしこの世からお昼ごはんが
消えてなくなったら
ぼくはもう硬貨二枚分の
高級なカレーパンを食べることはなくなるな

そのチェーン店には
低級なカレーパンと高級なカレーパンが
売っているのだ

高級なカレーパンのまんなかには
脂の乗ったビーフがひとかたまり

低級なカレーパンのまんなかには
世界じゅうのお昼ごはん好きたちの
安心と安全がひとかたまり

(2023年1月22日0時54分・西陣)


ジェフ・ベックの親指

悪魔と取引ができるなら
ジェフ・ベックの親指を望む
というひとは思いの外多いだろう
それくらいだ
それくらいなんだよ

エレクトリックギターは
迂遠な楽器なはずなのに
楽器のなかでも一等感情的な
音を鳴らす

天国でギターを弾いている
ヒーローたち
どうして
ぼくたちには聴こえないのだろう
もう一度でいいから聴きたいよ

でも
あんたたちに向けたギターは
いまも鳴り続けている

厳冬にあっても
世界じゅうの電力を
それに使ってもいいさ

(2023年1月13日0時04分・西陣)
(ジェフ・ベック追悼)


メガロコープ西陣一号館一階の喫茶店から運び出されてゆくライスとアジフライ

二〇二三年 冬の京都は
記録的な雪が積もったな
もし偉大な詩人がいまも生きていたら
新型コロナウイルス感染症ととりあわせて
とても偉大な詩を書いただろう
ぼくはそれを雪で作った神殿に安置し
すべてが融けるのを座って待つ日をする

そしてメガロコープ西陣一号館一階の喫茶プラスから
妙齢のウェイトレスが
(いまはホールスタッフと
言わなきゃいけないんだった)
左手にライス 右手にアジフライを
載せたお皿を持って店外へゆく
蒼白い手で神殿をつくるぼくのもとではなく
おそらく常連のひとの家まで出前に

(2023年2月7日2時29分・西陣)


冬がすぎれば詩はなくなる

いつも思うことだ
冬がすぎ
大気の暖かさが身を包むようになると
ぼくは詩を書かなくなってしまう

詩は暖炉――暖炉かな?
いや薪かも
燃やすしかないのだ
これは

(2023年3月11日17時45分・西陣)


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(2023年4月7日19時29分)

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久慈くじら
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