すべて
めんどうだと思うときもある
食う、寝る、やる
石は石としてある
ああ
おれの身体が瑠璃色の石であれば
どんなによかったか
ああ
旧い詩を読んでいると
この詠嘆にたくさんでくわす
漢字でもいい
嗚呼
おれはよく読み飛ばしてしまう
なにを嘆いているのか
わからないことのほうが多い
大仰だと思うことがほとんど
だが萩原朔太郎のいう感傷
これよ
言葉にできない
やつ
おちんちんが気持ちよくないほうが男のためになった
そう思う女はたくさんいる
もちろんかの女たちにそれはついていないが
だからこそ理性でわかる
哲人よ
理性はよく人間を切り裂く
だからといって
石になる魔法はどこにもない
なにもかも従えなくてはならない
すべてに名前をつけ描写し
数え切れないものを数えきれるように
した末に
無理かもしれない、と
そこでようやく
なにをすればいいのかわかる
とりあえず息をつこう
それらがわけもなく足を踏み入れていた
生活のための森は
大いなる、聖なる、俗なる、森だ
おれを躓かせるためにあるその根
番いを守る家となる葉
腐葉土の匂いをさせる風
ああ、すべてだよ
すべてを感じなくては嘘だ
そのひとつ、そのひとつ
心奪われてしまうものはたくさんあるけど
すべてを感じなくては嘘だ
そして
ほんとうのことは、難しい
ここにもすべてはない
だが、もしすべてがあるとしたら
ああ、ここだろう
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