アートは感情表現の手段なのか?
これは結論としては、作り手によるとしか言いようがないかもしれません。ものづくりは、表現とよく結び付けられます。口が達者ではない作り手が、ものづくりを通じて表現するというのは、職人のようなイメージで、思いつきやすいかもしれません。ですが、意外にも多くないという話もあります。
芸術家の多くが内気で、「美」 といった大げさな言 葉を使いたがらないことだ。彼らは「自分の感情を表現する」 と たぐい いった類のうたい文句を使うことにも、照れくささを感じてしま う。彼らにしてみれば、そんなあたりまえのことは、わざわざ言 葉にして論じる必要はないのだ。これがひとつの理由であり、そ れはそうだろうなと納得できる。しかし、もうひとつ、次のよう な理由もある。日々の創作活動において芸術家がぶつかる問題の なかで、美や感情表現の占める割合は、門外漢が思うほど大きく はないのではないか。
知人の有名な2人のアーティストは、一人は、世の中に訴えたいことがあって作品を作り続けています。もう一人は、かっこよさを追求しており、どちらも非常にクールです。ものづくりが何かを目的として、作るという前提に立った時、「自己を表現する」とは、どのような意味を持つのでしょうか?
それは、一方的な主張ではなく、双方向のコミュニケーションになりうると私は考えます。
人は現実世界で見たいと思うものを、 絵のなかでも見たいと思 う。ごくあたりまえのことだ。だれでも自然の美を愛している。 だから、それを絵に描き残してくれた画家たちに感謝する。 画家たちの方も、そういう私たちの好みを拒絶するつもりはなかった
作品は、ある機能的な目的を持っている。それはそれ自身でも機能するが、鑑賞される対象として、見られることで目的を達成するとすれば、美術は、そのもので完結をする一方的な表現ではなく、相互のコミュニケーションであると私は考えました。
美術の学習に終わりはない。つねに新しい発見がある。すぐれた美術作品は、見るたびにちがった顔を見せてくれる。 どこか計り知れないところがあり、その点では生身の人間と変わらない。 独自の不思議な法則につらぬかれ、独自の冒険へと人を誘う、わくわくするような独自の世界がそこにある。美術についてすべて を知っているなどと思ってはならない。そんな人はどこにもいな い。なにより大切なのは、美術作品を楽しむには新鮮な心をもたなければならないということだ。
美術が面白いのは、時代や人によって、様々な解釈が加えられ、時に作り手が意図したものとは違うものになる可能性もある。(それによって、作り手は落胆することもあるかもしれないけれど、)美術作品が生き物として、生まれ変わっていくのを興味深く思います。
それは、まるで自然のように思います。海や森は自然の現象や時に人の手にによって姿を変え、私たちを見つめ、また私たちも見つめるようです。