美術に意味はあるのか?
美術は本来、ただ美しいというだけではなく、機能があり目的があるものだと思います。ここではエジプトのピラミッドを例にして、お話をさせていただきたいと思います。
たんなる記念碑のためにこれほどの財をつぎこみ、これほどの労力を費やす王や人民がいるだろうか。いまではわかっているが、エジプトの王やその臣民たちにとって、ピラミッドには記念碑という以上の実際的な意味があった。人民の上に立つ王は神聖な存在であり、この世から旅立って、 もといた神々の世界へふたたび昇っていくと考えられていた。 空 の向かってそびえ立つピラミッドが、王の昇天を助けてくれる。 もっと直接にピラミッドは王の神聖な肉体が朽ちないように守ってくれる。エジプト人は、 霊魂があの世でも生きつづけるためには、 肉体が保存されてなければならないと信じていた。だから彼らは、防腐処置をした上に布切れで覆うという入念な方法で、死体を腐敗から守ったのだった。ピラミッドを築いたのは王のミイラのためであり、王の遺体は石に納められ、巨大な石の山の真ん中に の壁全体に、まじないや呪文が書かれた。 安置された。あの世へ旅する王を助けるために、石棺を置く玄室ピラミッドは人類の建築技術を伝える最古の遺物である。
ピラミッドはその後、広く一般大衆にも広がり、その目的や機能を果たしてきました。ですが、目的や機能を果たしたピラミッドが、歴史的に重要な意味をもつがゆえに保存をされていること以上の意味はないのでしょうか?
これについては、より私たちの身近な対象を用いてお話をしていきたいと思います。私たちの身の回りにある家は、雨風をしのぐことからだろうし、近所を歩けば、神仏や神社なども、いずれも大きな目的を持って建築されたものであることに気づかされます。大仏も元々は、疫病や飢餓などの厄難から身を守ると信じられて建造されたものもありました。ですが、単にその特定の目的や機能のためであれば、毎年の初詣や受験の合格祈願など、今でも多くの人々のシーンにおいて、魅力を発揮しているのはなぜでしょうか?
大仏は飢餓や疫病が去り、当時の目的は果たされても、子どもの頃より、神仏や神社に罰当たりなことをするのは、そこには呪術的な「何か」が残されていると思うのです。そしてそれこそが、ただの「道具」ではなく、美術を美術たらしめていると私は考えます。
美術における呪術的な「何か」は言うなれば、「感情の移入」が起こっていることだとも考えています。つまり自分たち人間および、人間がそこに感じられるものに危害を加えることは、人間の生存の本能として、できないのであると思うのです。
この「感情の移入」こそが、僕は美術を単なる道具ではなく美術たらしめる源泉であり、時代を越えて多くの人の心を揺さぶってきた美術が、後の時代にまで残り、新しい時代にも、新しい人々に意味をもたらしているのだと思います。それでは、今回のお話はここまでです。お読みいただきありがとうございました。