ちょっくらそこで軍議の一つでも開ける机買ってくるわ
『机はデカけりゃデカイだけいい』
当時中学一年生だった私は、増築した家に初めて出来た自分の部屋を内見しながらそう言っていた。
私の家、いや実家は、もう築60年以上は経つ古い家屋だ。多分まずは、こじんまりとした平屋として建てられた。
その後夫婦に子どもができて、子どもの部屋も作ってやろうと、部屋の隣に小さな蔵のような2階建てを建てた。
そうしたってのに、夫婦の夫は早々に逝ってしまって、結果妻と子どもの二人暮らし。そうしている間に成長した子どもは奥さんを連れてきて、その間に子どもが生まれた。それが私だ。
まぁそんな過去本当にあったかは知らんが。
でもまぁ、そんな風に増築を繰り返してきた家には違いない。外観は割と初心者のマイクラって感じだし。
そして二人暮らしから三人暮らしになり、最終的に五人まで住む人間が増えた家は、私が中学一年生の夏。
晴れて、取り壊した庭の跡地に、家が増築されることに決定した。
はじめての『自分の部屋』だった。
施工中からちょこちょこと部屋の中を内見しながら、出来上がっていく部屋を見てきた。多分。
あんま記憶にないけど、見てたはず。
そうしてはじめての『自分の部屋』に舞い上がり、それはもう色々妄想を膨らませていた。はず。あんまり覚えてないけど。
でもこう思ったのは覚えている。
「机は絶対に大きいのでなきゃあ。私はきっと机の上に色々物を置いてしまうから、それでもへっちゃらなくらいの、大きいのがええ」
子ども部屋によくあるタイプの勉強机。
部屋がないころから、ああいう『いわゆる勉強机』というものには興味はなかった。
だって狭苦しいじゃない。
机の上にあんな中途半端な棚っぽいものなんていらない。本を入れるためなら寧ろ、そんな心ばかりの備え付けのものより、もっと立派な本棚が欲しい。
教科書をしまう場所だって?
ならなおさら不要だ。私の教科書の収納場所は万年学校の机の中と決まっている。
それから、私が勉強机を忌むべき理由がもう一つある。
あの備え付けになっている椅子だ。
だって、コロコロがついてない。
コロコロしないデスク・チェアなんて、デスク・チェアじゃない。
椅子はどこまでもコロコロしてってくれないと。
助走をつけて床を蹴り飛ばして、クルクル回りながら床を滑ってくれないと。
あんなちんけな椅子なんかでどこに行けっていうんだか(˘•ω•˘)
だから、私は勉強机と称された机なんて買うつもりは端からなかった。
母親に連れられて行ったニトリで、私は、私の希望通りの机と椅子を買った。
勉強机の倍ぐらいは幅のある大きな机と、
コロコロ動きクルクル回る椅子だ。
これらが部屋に運び込まれ、組み立てられ、『私の机と椅子』として部屋の隅にデカデカと鎮座した時。
嬉しかった。
嬉しかったのだ。とても。
とっっっても。
嬉しかった。
そのことを、ついさっき思い出した。
私の今の部屋には、机という商品名がついて売られていたものはない。
幅55cm奥行き35cmのスチールラックの棚板に木製のシートを敷き、それを机として使っている。
多分これ、中学生の頃に買った机の四分の一くらいなんじゃないかな。
大人になり、26平米の1Rに一人で住む私には。
あの頃のように、ただ
『机はデカくなきゃ』
という純粋な気持ちで机を買うことは出来なくなった。
「組み立てが難しいかも知れないし」
「部屋狭くなるし」
「模様替えしたくなった時、邪魔だなって思うようになるかも知れないし」
「捨てる時に大変だし」
そう、私はすっかり大人になった。
簡単ではない。
ただ『机はデカくなけりゃ』という憧れと衝動のまま無計画にデカい机をこの部屋に入れることは、
もう私にとって簡単にできることではないのだ。
ご飯を食べるたびに、ラック机の上からキーボードを床に落とす。
ご飯を食べ終わっても暫し放置し、
ちょっと文章でも書くかとパッドを立ち上げ。
床に落としていたキーボードを拾い上げる。
『でっかい机なら、こんな作業いらないのに』
久しぶりだった。私が、そんなことを思ったのは。
それには理由がある。
最近、この年で音楽に興味を持った私は、そこから何がどうしてそこに行きついたかはもうちょっとわかんないだけど、とある動画に行きついた。
(いつの間にか見てる動画ってあるよね?
この感覚はわかってくれる人結構いると信じてる)
それは音楽を学として捉えて、色んな音楽知識を発信しているチャンネル。だったはず。多分。
(基本的には流し見なので記憶は朧気で申し訳ない)
それは人種間でのリズム感の違い。とりわけ、黒人ドラマーの『ポリリズム』に関して説明した動画だった。(はずだ、確か)
取り敢えずポリリズムの説明はスガナミ楽器さんのとこのを引っ張らせて貰って……。
で、別に音楽の話が本筋ってわけではないので。
結論からいいますとですね。
私の琴線に触れたのは、
動画の中のお兄さんの言葉。
まずは前提として。
黒人さんはより広い空間を捉えていて結果、リズム(時間)の広がりがよりあるのではないか、みたいなそういうお話をしてらっしゃってて。
そしてここからです。ここから、私の話の本筋はドラマーのリズム感のことではなくてですね。
なんかね、ただこの言葉が私の胸にスッと入ってきたんです。
この言葉を聞いて思ったんです。
それを人は、「世界が広がる」と言うんじゃないか。
って。
そうだよね。
そうだよ。
なんで私、こんな幅55cm奥行き35cmのラック机もどきの上で、
たんびたんびに物を動かしながら、ちまちま作業してるんだ。
きっと私は、知っていたはずだった。
全てが言い訳だって。
中学生の私は素直だった。
当時は、大分斜めに物を見ていたつもりだったけれど、案外真っ直ぐ本質を見れていたのかも知れない。
これは本質だ。
昔の私はきっと、世界の本質を捉えていた。
机はデカけりゃデカいだけいい。
そりゃそうだ。
キーボードを打って、物を書いて、ご飯を食べれる。
それがいっぺんにできる。
机はデカけりゃデカイだけいい。
そうすればご飯を食べる時にキーボードを床に落とさなくてもいいし、
文字を書く時にマウスを床に落とさなくてもいいし、
マグカップを持ってきたらどこに置こうかと迷う必要もない。
「だから、机を買おう。お前一人で軍議でも開くんかってくらいのやつ」
そこから私の世界はまた、広がっていくはずだから。
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