リストカットとオーバードーズと。
いつものように眠れないので、ふと思い出したことをここに書いてみようと考えついた。
あくまで私の、少し昔のお話。
始まりは中学生だった。「リストカット」という言葉は知っていたし、それが一体どのような行為かもなんとなく分かっていた。けれど、痛いことが大の苦手だった私は、そんなことをしてみようと思ったことはなかった。
しかしその頃、体調不良で学校にあまり行けなくなっていた私は、どんどん気持ちが沈んでいった。周囲の目も気になるし、何か言われているかもしれないし。ちょうど精神科にも通いだした頃でもあった。
ある日の夕方、「リストカット」という言葉を思い出した。そういえば、「死ぬために切るんじゃなくて生きるために切るんだ」と、当時流行っていたSNSで誰かが言っていた。よく分からなかったけれど、手首を傷つけたら気持ちが楽になれるのかな?と思った。
その日私は、初めて手首を切った。なぜかあまり痛くなくて、心がすっと晴れるような気持ちがした。それが私の自傷癖の始まりだった。
リストカットに溺れるのは簡単だった。切るところがなくなってきたので、手首だけでなく肘くらいまでびっしり切っていった。学校の休み時間ごとにトイレで切った。当時の私には、それしか救いが無かった。
なぜか分からないけれど、物心ついた時から消えてしまいたかった。その気持ちを、切っている時だけは忘れられた。
学校へ親を呼び出され、もちろん親にも叱られ、人格すら否定され、余計に傷が増えていった。こんなことで死ねるとは思わなかったし、手首を切って死のうなんて思っていなかった。誰かに気付いて欲しいとも、構って欲しいとも思っていなかった。ただただ、切り付けた時に分泌されるアドレナリンに癒されていた。
高校生になる年、初めてオーバードーズをした。いわゆるODというやつだ。たしか、抗不安薬を50錠くらいだったと思う。眠れなくて苦しくて、現実逃避したかった。死ぬとは思わなかったけれど、あまり色々考えられなくて、手のひらにプチプチと薬を出して飲んだ。3回くらいで飲めた。自分が一度にこんなに薬を飲み込めることに驚いた。
そこからは覚えていない。救急車で病院に行ったらしい。本当にその後の記憶が抜けているので、何も書けることがない。
高校生になってからも、自傷はやめられなかった。けれど、先の事件で親の監視の目が厳しくなっていたのでODはしていなかった。精神科に通院しながら、休みがちながらもなんとか卒業した。高校の思い出はあまりない。早く大学生になって一人暮らしがしたかった。好きなだけODもリストカットもしたかった。「心を病む」ということに溺れ死んでしまいたかった。当時は苦しくて苦しくて、でも多分、それすら快感で、きっと病んでいる自分が大好きだったのだと思う。
晴れて大学生になり、念願の一人暮らしが始まった。多剤処方により薬はじゃらじゃらと余っていたし、何をしても誰にも咎められない。めちゃくちゃに腕を切った。好きなだけ薬を飲んだ。その上、睡眠薬をすり潰してスニッフしたりもしていた。
この頃はもう「死にたい」以外の感情がなくなっていた。漠然とした希死念慮が毎晩襲ってくる。死にたい死にたい死にたい、誰に慰めて欲しいわけでもない。どこかに吐き出したかったけれど、そんな相手はいなかった。だから、自分に苦しさをぶつけていたんだと思う。
私の「死にたい」には、おそらく理由がない。覚えている限り、小学校低学年の頃にははっきりと「死にたい」と自覚していた。初めての自殺未遂は小学4年生だった。ずっとずっと死にたくて、生まれながらにして希死念慮とともに生きてきた。でも正直死にたくはない。
「死にたいなら死ねばいい」。何度そう言われたか分からない。あなた達に分からないのと同じように、私だって、どうして自分がこんなにも死にたいのか分からない。
大学4年のある日。ODはいつも手加減していたのに、その日はできなかった。救急車で病院へ運ばれた。何をどのくらい飲んだかもう覚えていないが、久しぶりによく眠ったことは覚えている。
それから数年がたち、もう20代後半。当時よりメンタルの状態は良くなっている、と思いたい。同じ病気の人に対する誤解や偏見を招く可能性があるので、病名などは伏せておきたいが、もう十分苦しんできた気がする。
生きていても仕方がない。生産性のない毎日を過ごしている。
未だに希死念慮は毎晩やってくる。今だってできれば首を吊りたい。生きていてごめんなさいと思う。それでも、まだ死にたくはない。正直言ってお先真っ暗だ。でもでもだって、そんな往生際の悪い私は今日も生きてしまっている。
病気に理解のある彼氏が出来て幸せになりました、とか、人生を賭ける生きがいを見つけました、とか、メンヘラが幸せになる話ではなくて申し訳ない。
ただの私の半生を何となく書いてみた。誰かの目に留まるとも思わない。
それでも勘違いしないでほしいのは、私は決して不幸ではない。希死念慮はずっと私の中にいて、ふとした時に顔を出すが、今がいちばん穏やかに暮らせている気がする。
希死念慮が私を捩じ伏せるまで、もう少しこのまま「生」を楽しんでみるつもりだ。