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言葉や前提がもたらすマジック~呉知英さんの批評観に学ぶ~
評論家、封建主義者(!)、儒者の呉智英(くれ ともふさ)さんをご存知でしょうか?
個人的にはタレントの宮崎哲弥さんの批評家としてのお師匠さまということで知ったんですけど、その視点が面白くて紹介させて頂きます。
自分が知ったのは、この動画からです。
宮崎 哲弥&呉 智英 - 「つぎはぎ仏教入門」塾
宮崎さんのトーキングヘッズという名前の番組なんですけど、料理しながら何気なく見てたらとてもおもしろかったんです。
何が面白かったのかと言えば、お釈迦様について呉さんは著書『つぎはぎ仏教入門』の中で、「非凡なエゴイスト」と評してるんです。
番組の中で田添さんも驚いてますが、「あのお釈迦様がエゴイスト?」という考えた事も無い視点に自分も驚きました。
実際のところはどうなのかは分かりませんが、この呉さんならではの視点や発想は面白く、また如何に自分が色眼鏡をかけて見ているかを知りました。
もう一つ面白かったのが、呉さんが書いた論語の本(『現代人の論語』)では、孔子が誘惑されたっていう話です。
「子、南子を見る。子路よろこばず。夫子これに矢って曰く、予が否なる所のものは、天これを厭たたん、天これを厭たたん。」雍也篇6-28
南子という美熟女が居たんですけど、公然と不倫をするような女性だったそうです。
その南子に呼ばれて行ったことを弟子に疑義をもたれたのですが、「私が間違ったことをしたら天が許さないだろう。許さないだろう。」と言います。
呉さんは、この「天これを厭たたん(天が許さない)」を繰り返した背景には、孔子が情欲に惹かれた、誘惑に負けたことが見え隠れしていると指摘します。
他にも、司馬遷や谷崎潤一郎からも引用しています。
「最も遠い者の直感は最も近い者の直感に意外と合致しているような気がする」
この誘惑に負けることからは遠い人の直感は、誘惑に負けちゃうような人の直感と以外と近いという視点も興味深いです。
逆に言えば、儒学を学ぶ人や弟子たちは、こうした直感には至らないと思います。
なぜならば、尊敬する人物がそんなことをするはずは無いと思っているのですから。
自分に近い人の言葉、自分がそうだと思ってきた前提、これらがあるおかげで様々な判断ができるわけですが、その判断が100%正しいかは分かりません。
何もかも疑えという事ではなく、批判的な視点を持たずにただそのままスルーして受け入れることは、あまりおすすめできないということですね。
ちなみに、例えば「人の命は大切だ」とか「子どもは大切にするべきだ」という議論も出てくると思いますが、これらの問題というのは、相対化せずにそのまま「人の命は大切である」、「子どもは大切にするべきである」と断言するべきだと思います。
なぜならば、相対化してしまうと、必ず条件付きで許される場合があるとなってしまうからです。
人の命が大切と言った場合、犯罪者の命は除くとなったり、いじめをした子どもは大切にしなくても良いという論理がまかり通るからです。
そうではなく、それらの問題というのは相対化して論議するのではなく、「命も子どもも大切」であると、議論の抽象度とは別の次元の話として扱うべきです。
そして、世の中には人の命や子どもを大切にするなど、議論には上げない事柄があっても良いのだと私は思います。
何が正しい間違っているという事だけに囚われてしまうことや、すべてを平等に考える(人の差別とは別の話です)ということすらも時には批判的に観る視点を何処かで意識しておくことが大切だと思います。
そんな事を考えさせてくれる、呉知英さん。
良かったら本を読んでみてください。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。