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この世を去る前の勝手な歴史語り②
小学校入学は宮崎県に帰り、小6の最後の半年間のみ何故か1家4人で鹿児島県で過ごし、その後は高校卒業まで宮崎県で過ごしました。
なぜ宮崎に帰ったのか、未だにわかりません。
今でも、学生時代を愛知県で過ごしてたらどうなってたのかなって、思います。
子供の頃の記憶は、いじめられてた記憶が大半です。
「みんなと一緒」が正義の中で、それが出来なかったからです。この頃から、我慢癖がつきました。
いじめられてるのが辛くても親にはバレないようにしなくては、と強く思い、身体に異変をきたしたのは中学生になってからです。
過換気症候群(過呼吸)を発症しました。
卒業式はみんなが別れを惜しんで泣いてる中、「終わったから帰る」的な感じでさっさと帰りました。今思えばドライな子供ですね。
いや、ホントに何も思わなかったもので・・・
高校は親元を離れ、寮のある高校に行きました。
高校は、それなりに楽しい記憶はあります。
演劇部に入ったのは大きかったです。前年まで潰れてたらしかったですが、募集してたので入りました。
「選んでいいんだ」というカルチャーショックもありました。
選択教科?というのがあり、まずは文系と理系で選べたこと、世界史と日本史どっちを学ぶかで選べて、私は文系日本史を選択しました。
成績はあまり良くはなかったけれど、日本史の楽しさはこの時に知りました。
とはいえ高校の卒業式も何も感慨深いものは感じず普通に終わりましたが。
何でしょうね。何かが欠落してる気がしてならなくなりました。卒業式で泣く同級生が不思議だったんです。
そして卒業後は愛知県へ行くことにしました。
本当は東京に行きたかったですが、卒業後の進路を決めなきゃいけない時に地下鉄サリン事件が起きて、大反対をくらった為、母方の親戚も多い愛知県に行くことにしました。
この時の夢は「役者」でした。