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【しもつけ回想録】篠井編②

篠井村への引っ越し

(3)その日は雨だった。徒歩とバス?と荷馬車で那須郡から篠井村(今市)のとある大家さんの家に引っ越し、そこに2年間住まわせてもらった。
(4)大家さんの家は小川(鬼怒川の支流)の近くにあって、小川にかかる大きな橋の向こうに家の門があった。門は、馬車が通れるくらいの大きな門(長屋門?)だった。
(5)門の前の小川は幅4mくらいで、水車があり、1年中動いていて精米していた。
(6)門を入ってすぐ近くのところに4畳半と8畳の和室を作ってくれ、そこに住んだ。そして和室の縁側のすぐ下に幅2~3mの小川が流れており、縁側から足を投げ出すと足が小川に触れる状態だった。

K子の述懐

私の所感

まず(3)について。K子の言う苦労の1つはこれです。那須郡から篠井村への引っ越しは雨の日だったのです。これは現代でも同じですね、雨の日に引っ越しは勘弁願いたいです。「大変だったのよ」と言ってました。移動手段については、荷馬車に荷物を載せ、ずっと徒歩だったと思われます。メモに書いてある『バス』というのは何かの間違いかと。そして、今市が出てくるのは、篠井村の北側を意味している可能性大です。篠井村は1954年、北側は今市市に編入となり、南側は宇都宮市に編入となり、分割による消滅だったのです。

次に(4)について。小川が気になります。鬼怒川の支流であることまでは証言から分かっていますが、具体的にどの河川を示しているのかは不明です。その小川にかかった橋を渡った先に、住むことになった大家さんの家があったわけですが、さぞかし立派な門だったのでしょう。『お屋敷』という言葉が相応しそうです。

次に(5)について。小川のおよその川幅も記憶にあったようです。これらの情報があれば、小川の候補も何件かに絞れそうですね。水車と精米の部分は、本マガジン(那須編)の中で既に何回か出てきているので、お馴染みです。

最後(6)について。K子一家のために、わざわざ和室を増築?してくれたようです。実にありがたい話です。12.5畳の広さ。これが十分な広さだったのか狭かったのか?特に言及はしていませんでした。共同スペースを除いた、家族3人分のプライベートな空間としては、当時の感覚では申し分ない広さだったのではと推測します。最後の、縁側の件が素晴らしくないですか??
K子の思い出話の中で一番好きな部分です。頭の中で想像力全開になります。夏場であれば縁側に足を投げ出して、小川の冷たさでいい感じの涼みになったに違いありません。太陽の光が差し込んだ際の小川のきらめき、そして小川のせせらぎも聞こえてきそうです。

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