分割自我復元 六回目判定の記録
※7月4日追記:2012年4月22日のメール「書の感想他、黒九」を投稿内有料部分に追記しました。
※7月3日追記:2012年4月30日のメール「判定結果メモ感想他 黒九」を投稿内有料部分に追記しました。
◆はじめに
本記事は無明庵が提唱する分割自我復元法を実践するにあたって、私が2012年4月に故鈴木(EO)氏に自我率の判定依頼を行った際の記録になります。
本編では判定後に書と共に送られてきた、A4用紙に記載された自我率判定結果やアドバイスの内容を記載しています。
◆注意事項
当時は掲示板上では非公開とされた回収感覚からの自我率推測方法についての記述が本文内にあります。
基本的には自我率は自己判断となってしまった現在、自身の進捗を測る為の指標の一つとして使える可能性があると考え公開としました。
ただし、対象者が限定される点にはくれぐれもご注意ください。
◆判定依頼文作成時の状況など
今回は「ここだけの話」な正常な自己顕示欲の例と、現在のトラウマに影響を与えた過去世の記憶がアドバイスの中で述べられていたこと、復元と連動して無明庵独自のメソッドである死人禅の捉え方に変化が生じた点が印象に残っています。
依頼文は2012年3月から投稿を始めた復元ブログ(現在はありません)を1ヶ月間連続投稿し、そこて感じたことなどからヒントを得て自己分析を進めつつ、投稿文を作成するという方法を使いました。
毎日何かしらの記事を考え、1ヶ月間という限定期間ではありますが連続投稿を絶やさないというのは当時の私にとってかなりのストレスでした。
しかし、自身が避けようとする行動や嫌いなことを意図的にしてみることは復元の停滞に何かしらの効果があるのではと考えました。
むしろ、避けてきた分野にこそトラウマの堀残しや無自覚な思考パターンがある可能性が高いと考えました。
加えて、前回の判定でやってみてくださいとアドバイスをいただいた死人禅の基本行を並行して行い、従来の視点に変化を起こし復元の停滞に対処しています。
◆有料部分について
有料部分は、今回の私の判定依頼文と判定結果に対しての返信、雑談等を含めなるべく抜粋の少ない状態で掲載しています。
死人禅に関する文章の一部は下記の無明庵桜の間掲示板の投稿に掲載されている為、こちらを読んでいただいても十分かと思います。
[89]■ ★分割自我復元★その88★自我復元に伴う、死人禅の捉え方の変化■判定の無料化の時期■ by:鈴木崩残 2012/04/18(Wed)15:09:13
http://www.mumyouan.com/k/?S89
また、本文内ではメディテーションの類について否定をしている部分がありますが、これはあくまで当時の私の状態では機能しなかったということであり、実施者が適切な状態で行うメディテーションや瞑想、その他のメソッドは目的に応じた効果が期待できると今は思えています。
以降、記事本文となります。
◆結果レポート
復元判定結果6回目 (2012年4月27日)
黒九様へ
自我率は、おっそろしく細かい単位の数値になりますが、
「98.4% から 98.7% 」の範囲です。
こういう小数点が出たのは、判定をしてきて、 これまでで、 これが初めてのことです。
単純に 98%か 99%と 割り切ろうとしたのですが、ディテールがどうしても気になり細分化して、小数点以下まで範囲をしてみました。
既に、黒九さんとの意識上の関係性が深いものですから、文字はあっというまに書けました、
今回は、いろいろと書くことが ありますので、少し長文になります。
●まず リングが、他の人に見られない空白部分が広がつており、あとで絵にしますが、リングと身体の間の距離が、 1メートル弱あります。
これは正常なことですので、問題があるという意味で意味ではありません。
回収の感覚が全体として1/5と書いてありましたが、
どうやら、回収した時の感覚は、ある程度の高自我率になると、正しい判断のようです 。
自我率がまだそれほどではない時には、回収がされてるかいないのかが、分からないという状況の人が多いと思いますが、呼びかけから帰ってくる感覚よりも、回収の感覚で、おおむね自我率の上昇 は、復元者本人にも「自己判断」できるとも、いえるかもしれません。
実際、今回は前回から約50回として、その 1/5の10回の回収の感覚があったとすると、通常の復元率でも、約1%か ら 1.5%になるからです。
ただし、 この回収感覚は自我率が90%以上になった人でないと、あてにならないので、私も、 これは、掲示板には書かないほうがいいですね 。
●桜の間で、 これを今書いている、火曜日 (4/17)に 追加したのですが、その中で、「他者に教えることを契約に組み込んできた人とそうでない人」について書いてあります。
黒九さんの場合は、分かりやすくいいますと、他の人が、黒九さんの背中を見て育つ、 という方法が最も自然なものであり、分類上は、 自分の問題に夢中になっている科学者のイメー ジです。
この黒九さんが、好き勝手にやっている事を、他人がその「背中を見て」学ぶ、というのが最 も自然な事である一方では、その部分が崩れて、意図的に他者に教えるという行為になると、その部位の契約はされていないと私は思っています。
つまり教えようとすると、無駄になったり、失敗したり、黒九さん自身が満足できる結末にならず、教えようとしないで、趣味に没頭していると、そのほうが結果として他人がそこから得るものがあるという、パターンです。
●報告の中の冒頭のブログについての感想、または反応についてですが、そもそも公開ブログというのは、もともとはなく、私から皆さんにお願いしたものでした。
そしてさらに、私からお願いして、もしかすると、何かの方針変更をするかもしれないという示唆を書いたのでした。
そこで公開になることとならない事の違いは 、言うまでもなく、そこに他者の目があるということと、それとIま別に 、その他者の目を気にする人もいればたいして気にはしない人もいるという点です。
●たとえば、私が書いた選択肢の中には、「自我復元が終わったら、卒業ということで消す」 という選択肢もありましたが、その場合には、黒九さんはどういう感覚を持つでしょうか ?
途中で消えて、全自我にな つたあとで再開して書くのは、それは後味が悪いかもしれませんが、全自我になったときには、不要になったものとして消す、という場合にも、同じ、怒りや、不満が出たでしょうか ?
●つまり、今の時点で、書かれてる記録への執着が強く、あとの事は無頓着か、それとも、将来また、より完成度の高 いものを書くのであれ ば今の記録は無しとしても良いか、それとも、現在も未来も、両方とも消えるのが嫌であるか、それらによって不満に違いはないかです。
これにより、守ろうとする欲望が、 どの時間帯にあるのかが分かります。
現在なのか、過去なのか、未来なのか、あるいはその複合なのかです。
●言うまでもなく、「自己顕示欲」それ自体には、善悪はありません。
むしろ、自覚的な自己顕示欲は、無害であるばかりか、嫌味なく、周囲を上手くひっぱることもあります。
たいていの場合に、妙な、問題が生ずる自己顕示欲とは、「ドヤ顔」で示 して、時には恥をかくことを覚悟した自己顕示欲ではなくて、自己顕示していませんよというポーズをとったり、自己顕示欲を発散しているという事を相手に悟られたくないと意識した場合に、もっとも妙な空気感が生まれます。
ようは、率直に自己顕示してしまえば、あとの結果や反応も、それに応 じた対応をしてしまえばいいだけです。
自己顕示欲という欲望も、そもそもの言葉の定義もされないままに、悪いこと、となってしまうのが、言葉の世界です。
私もむろん、それを肯定的な意味で使うこと|ま 、掲示板上でも少ないですが、黒九さんとの「ここだけだけの話」、でいえば、自己顕示なしで、ど一やって恋愛相手を落とすんだ、という話にもなってしまうのです。
むろん相手からなびいてくることもありますが、健全な自己顕示欲というのは、動物の世界の縄張り争いや、求婚行為でも多用されている、生物にとっては、正常な機能の一部なのです。
それが、主に、動機が、「それだけ」になってしまうと、みっともない事になるというだけの話です。
●ところで、他の復元ブログの方の書き方を見ると参考になるかもしれませんが、まったく普通の報告メールそのままのような、力みのない人もいれば、少し、そこに見られているという前提をおいて、言葉を選んでいる人もいれば、まったくのマイペースの人と、その度合いも、いろいろです。
●その中で、書いている人が、誰、あるいは「どういう層の人達」を想定 してい書いているのか、というのが、私が注目したひとつのポイントでした。
ある人は、精神世界にそれほど縁のない層の人を対象としていたり、ある人は、自分と同じ境遇の人だけを想定していたり、といろいろです。
または、詩人の、ルツ子さんのように、人の目など、ほとんど気にせず、見る人に対 しては、人種も想定せず、最低限の、サービス精神だけで、ガンガン書く人もいます。
●おそらく黒九 さんの場合には 、無明庵の読者とか、ちよつとスレてしまつた人たちないしは、専門的な知識のある人の層を意識して書いた部分もあると思います。
ですので、ごく普通の人が読んでも意味が分からなくていいので、分かりやすく書こうとする必要は全くありません。
●生存欲をここまで (文書中の文言や教義としてではなく)リアルに、感じたのは初めてとありますが、作られたり、生じたものは、すべからく、それが見捨てられたり、機能停止するまでは、「生存維持」という機能を発揮しますので、それは生物の命であろうが、物体や、情報であろうが、同じです。
にも蘭わらず、私達が、生活ゴミを捨てるのは、それが不要であったり、邪魔であると認識するからです。その生活ゴミを拾ってリサイクルする人にはまたゴミは違う意味を持ちます。
今回、黒九さんが、御自分のプログが消える=生存欲が脅かされる、と感じたのは、言うまでもなく、そのブログと黒九さんの自己同化の深さや、そのブログのコンテンツに対する価値観のおき方、または 、まだそれは「利用できるもの」という思考に由来する部分が最も大きいと思います。
他人に対してではなく、黒九さん自身にとっての利用価値が確実にあるからこそ、消えることに抵抗感があるわけです。
私がいつも言ってきたように、その個々の人が、「これは消えて欲しくない」というものに圧力がかかるときが、生存欲のプログラムを知る最も簡単な方法です。
それ故に、命は捨てられても、魂は捨てられないとか、心情は捨てられないとか、自分は死んでも、子供だけは死なせたくない、といった心理状態が生まれるわけです。
●今回は、それだけ黒九さんにとっては、ブログが大切であり、生存欲が反映しているのですから、重要性があったということです。
それは悪い執着でななく、良い意味の執着です。
消されてもいいや、などと思って書くブログは、あまりよろしいものではありませんし。
ただ、中には 、私から見ると、すごい事を書いているのに、本人にその自覚がなく、ブログが、あっさり消えることに、さして抵抗のない人もいそうです。
このあたり、結局は、どこを生き残らせるのが、その個人にとつて優先順位となるのかで、かなり違いがあります。
●自己顕示欲の話に戻りますと、ふだんは、めったに自己顕示をしない、女の子が、「どうや、あたし、冴えてるやろ?、 えっへん」とか、やると、むちゃくちゃ可愛いことがあるように、自己顕示欲というのはそれ自体の善悪があるわけではありません。
実際、その女の子は、謙遜しているのではなく、自慢しているのですが、全く嫌味がないわけです。
自己顕示欲が悪いのではなく、その自己顕示欲の発する時に、別の下心があるという場合が、ゆがみと違和感を生ずる原因です。
前例の女の子でいえば、その女の子は、そのときに、周囲の他人から、「んなもの、自慢するほどの事でも、ないない」といわれたときも、「えへっ」で、少しバツが悪そうにして、終わりになります。
ところが、「他人も絶対に、この自分の冴えたところを、認めるはず」という余計な思い込みとなる「別の欲望」が混ざると、事が厄介になります。
そこでは、「自慢欲」プラス「評価されるべき欲」という二重構造が生ずるからです。
もしも、「評価されたいという下心」を満たしたいのがメインであるならば、自慢は不要なのです。自慢しなくても、評価が目的であれば、別の方法があるはずです。
試験を受けて合格するとかです。別の目的のはずのものが、混在するのが問題ということです。
単体では、どれも実は、あまり善悪はなく、極端に言えば、殺人行為すらも、その動機に複雑な、別の目的の混在がない場合には、わりと普通の事なのです。
アンデスの山中で、入肉で生きながらえたのは、食って生きるためで、誰も否定しません。
しかし、飢えてもいないのに、人内を食ったとしたら、それは別の目的を満たす為の代理手段だったりでないかと推測されてしまっても当然なのですから。
●あとは3/28付 けの部分の報告にあります、
「自立したいのではなく、自立しているところを相手に教えることにより、相手へ与える印象が変わ り、状況をコントロールしやすくなるのではないかという魂胆」
という表現がありますが、ここも部品を「分解」するとこうなります。
↓
1-自立したい。
2‐自立しているところを相手に伝える。
3-相手に与える印象を変える。
4-状況をコントロールしやすくする。
一目みても、この4つはすべて、違う目的であることが分かります。
違う目的である以上は、手段も違ってきます。
何も、一直線に並べて、一石4鳥を得ようとする必要性がどこにもありません。
強いていいますと、本当の力点は、最後の4ではないでしょうか?
しかし、 1、 2、 3も 、少量とは言え、そこから得られる甘みにも手を出しそうですね。しかし、 1から3が完全に成功しても、4が成功しなければ黒九さんは満足しないと思いますので、それでしたら、最初から4に絞込みみ、そのためには必ずしも、 1、 2、 3のステップは必要ないという結論になると思います。
1は別としても、少なくとも、2と 3は 、状況のコン トロ―ルの為に相手を巻き込んで、他人を利用することになりかねませんので。
1と、その他の手段だけでも、4は実現できるはずなのです。
特に、必要ないのは、 自立しているところを相手に見せる、というのも、相手に与える印象を変えるというのも、「それだけ」 を取り出したら、それが実現しても、それだけで、次の結果に繋がらなかったら全く無意味になります 。
●このあたり、結局は、黒九さんの場合には、本来は、マッドサイエンティストのように、ひたすら自己研究に没頭し、その背中を他人がどう見るかには、無頓着であるべきなのですが、何らかの、過去の古い記憶か、または、何かの経験をし残した感覚が、そこに閉じた自分だけではなく、他者を必要とするという思い込みの元になっていると私は思います。
推測ですが、黒九さんのような、本来は自立型の自我のタイプの人が、妙に、女の人、あるいは同性の仕事仲間に対しても、特定の気をつかってしまうとしたら、その最大の原因は、過去生での「戦争」の記憶です。
その戦争の、規模や場所に関わ らず、どうしても、自分が受け持つた軍隊の兵士から、賛同や信頼を得なければ、自分一人では、戦争には勝てないこと、そのジレンマのようなものです。
戦争という中では、根無し草の、一匹狼のように戦ったタイプの人もいれば、少人数でも、兵を率いていた場合もあり、黒九さんの場合には、兵をもっていたケースです。
つまり、ここで、今回のテーマとなった黒九さんの中に、「生存欲」とリンクをしてくるのは、「状況(つまり戦況)を コントロールするためには、兵士に自分が与える印象を操作しないと、自分も、敵に殺されて、死ぬ」というレベルのものです。
ですから、黒九さんの場合には、一見すると、単に、せこい、下心がからまっているだけのように見えて、実際には、その根っこは、「部下の信頼を得て、上手 く指揮をしなければ、死んでしまう、全滅してしまう」という「切迫したもの」だ ったのだろうと、私は読んでいます。
命がかかっている点で、普通の人が自己顕示欲に走る動機とは、桁が違う、生死がかかっていたわけです。
その時代の記憶の癖が、小さいころからの学校での立ち撮る舞いのパターンを作り出し、それは子供が「子供の世界」でする、ただの自慢ごっこや、ただの周囲の支配で終わるものではなく、その「背景」に深くあるもの、その黒九さんの「衝動」の本当の出所は、「戦争経験」の記憶、 しかも、戦場の部隊の「隊長」だった時のものであろうと、私は思っています。
むろんそれは今回の生ではないですし、他の議誰かの記憶を、コピーして借りたのかもしれませんが。
今回は、こんなところです。
最後に、文字の記録を写し書きしておきます。
敬具
崩残
◆判定依頼文
6回目判定依頼
2012/04/16 (月) 23:59
6回目の自我判定お願い致します。
鈴木崩残さま
お世話になっております。
ブログの効果を確認し、以降の行動方針を決める為、
6回目の自我判定お願い致します。
ますは、桜の間【86】の投稿文内で、自身の書き続けたブログが消去される可能性があると知った時の体験です。
主に自分の為に書いた文章とはいいつつも、他人の目を意識する公開する場に文章を投稿する行動は、他人の目を意識することをモチベーションに変換する為だと認識していました。
そして、自身が書いたブログが、「消される」と知った瞬間、まずは恐怖を感じました。
その恐怖はすぐに怒りとなり、「何で消すんだ!」と言い始めました。
「大人気ないことしてるなあ」と思いながらも、
次に浮かんだのは疑問でした。「なぜそう思うか?」です。
ブログが消されることに反応し、出てきた、この恐怖や怒りの発生原因はどこにあるのか、なにが満たされなくなったのか。
「大人げないことしてるなあ」では誤魔化してはいけないものを探す必要を感じました。
まず、見つかったのは「自己顕示欲」でした。
ブログを書き続けた理由の多くはこの欲求からです。認めます。
しかし、ここでも疑問が発生しました。
なぜ、自己顕示する必要があるのか?
そして見つかったのは、「生存欲」でした。
ブログが消されると知った瞬間、恐怖し、怒ったのは私の中にある「生存欲」でした。
言葉や単語自体は報告メモや掲示板、書籍の中で何回も目にしていましたが、ここまで生存欲をリアルに体験したのは初めてでした。
消え去る事の恐怖がここまで強く自分の中にあったのにも関わらず、自身が取っている行動の多くは人の生存欲を満たす行動ばかり。時には、それが世間で生きていく為には必要なのだと言い聞かせ、自身の生存欲を抑圧していました。
抑圧された生存欲は、それが満たされれば発散方法を選びません。
依存しようが、人の迷惑になろうが、その行動そのものが、自身の生存欲をさらに脅かすこととなっても、発散し、満たされる方法を探します。これは矛盾していますが、回収もできていないので気がつきにくいです。
本来は自ら閉じた回路で機能しているであろう生存欲が、抑圧により本来の機能を失い、出力先が定まらない様子を記憶の中に数多く感じました。
ではどうするか、正常機能する生存回路に戻すまでです。
■1■=
「ご注文」と「感想」、どちらを送信される場合にも、
「メールの件名」に必ず「ご本名の姓名」を書いてください。
これは皆さんからの御注文や、復元における報告を整理したり、検索するときに、私の方で便利だからです。
●六回目復元率判定お願い致します。〇〇〇〇
■2■=
現在の「戸籍上の本名」の明記と、その読み。
現在の年齢。ただし年齢は3歳程度違っても問題はありません。
〇〇〇〇
そして現在の住まいでの「家族構成」の明記。
なお、ご住所は、原則として、いつも住んでおられる現住所に限ります。(そうしないと、私の意識の座標が正確には定まらない事があります)
●〇〇〇〇
現在は一人暮らし。
■3■=
「自我復元法」を、「行ってきたか、行っていないのか」の明記。
●行ってきました。
■4■=
「行っている」と答えた人は、いつごろの時期から、
延べにして、何回行ったのかを、注文メールに、明記して戴きます。
* 注 *
もしも「二度目以後の判定」の場合には、そのつど、
「前回の判定以後に、何回復元作業をしたのか」を明記してください。
●2/20日より1日一回ですが、未実施も4日有り。4/16時点で51回。
回収感が薄いときも増え、確実に回収できたと感じるのは1/5程度です。
■5■=
そして作業を行った結果、感じたことや変化したことの報告を、ご注文時のメールに「具体的に」明記して下さい。
注**ご報告は、添付ファイルではなく、必ず「メールに直接にコピー」して下さい。添付ファイルは、原則として開きませんのでご了承ください。
■その自我復元に関する「報告の項目」は次のとおりです。
1-「復元作業中」の変化。
●リングの大きさが部屋に収まりきれない程大きく感じる。
●回収を日本国内に限定する。
2-「夢の内容」の変化。
●夢の中でストーリーに変化を与えず思考している。現実生活とほぼ同じ行動。
●グロテスクな物、嫌いな物が出てきても動揺が少なく、夢が悪夢に転ずることが少なくなった。
●夢の中で、不安がよぎっても、それが具現化しない場合が増えた。
3-「主観的」な自分の変化。
●他人に何かを説明するときに、自分の論点がずれたと感じたら、喋ることを止めるようになった。
●自分をよい意味で監視している目の存在がある。効果として、現在は自身の肯定作業と視否定作業を同時進行で行えていると感じる。以前は肯定作業が9割以上を占めていた。
4-本人ではなく「環境」の変化。
●父親から頼られることが増える。会話の中で「後の実家のことはまかせたぞ〜。」のような、頼られる台詞が多くなる。以前はこうしろ、ああしろ、ばかりで頼られたことは一度もない。
5-客観性のある「身体」の変化。
●花粉症の影響は殆どない。以前のこの時期は、ティッシュペーパーの箱と、ゴミ箱を持ち歩かなければならないぐらい、花粉症が酷いときがありました。
●冬場は一度も脚の指がしもやけにならなかった。以前は冬場には必ず両足の小指がしもやけになっていました。
●冬場にリップクリームを使わなかった。
6-その他の「ユニーク」な変化。
●復元作業の終盤で、予定していた行動よりも、さらに使えそうなアイデアを知り、なおかつ試すことができる状況になる。
前回の報告感想文で、禅書は飾ったことがないと書きましたが、実はあえて飾らない理由がもう一つあります。
それは、最後のラストスパートの時点で、手元にある書を部屋中に貼り、その中で何が足りないかを自問するつもりでいたからです。
その為に、普段はなるべく禅書に頼りすぎないようにし、最後に禅書の作用を最大限に活用しようと思っていました。
しかし、分割自我復元ブログを書いたことで目的としていた効果より、さらに具体的な効果が得られる可能性のある方法を行うことができました。
このような理由があった為に、ブログは期間を設定し、可能な限り投稿を続けるように心がけていました。
この状況は、自身に残されている問題のあぶり出しに使えるのではないかと感じましたので、あえて、動くことを選んでいます。
復元法を行い、ある意味、自身がラッキーアイテムと化してきた現在、このアイテムが「使えるか、使えないか」の検証も兼ねています。
●死人禅の使い方が180度変わる。ついでに、過去行っていたメディテーションの考え方も180度変わる。
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