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ハーバード大が明らかした、自分に関する大きな誤解

今日は、『自分のコミュニケーション能力に対しての誤解』ということで、よく起こる誤解についてお伝えしていきます。

コミュ力の度合いはだいたい間違っている?

あなたは自分のコミュニケーション能力はどれぐらいだと思いますか?まずご自身の中で「自分のコミュニケーション能力がどれぐらいあるんだろう」ということを考えてみてください。ご自身で思うものでよいです。高いと思えばそれでいいですし、うーん……という方もいるかもしれませんね。

ちなみに僕は昔、全然ないと思っていました。そもそもいじめられていましたからね。小学校の高学年ぐらいまで。中学ぐらいからいじめられなくなりまして、ようやく大学ぐらいからですかね。自分で心理学を学んだり、東京に出てからやっとコミュニケーションをとれる人になったかな、という感じです。ですので、もともとコミュニケーション能力は高い方ではないかな、と。勉強や場数によってコミュニケーションを上手にとれるようになったと感じています。

さて、あなたはどうでしょうか?自己採点していただいたところで今日のお話です。ズバリ、このコミュニケーション能力に関わること。ハーバード大学とイエール大学が共同で5つぐらい実験をしています。その5つの実験のなかから、1つだけ実験をご紹介します。

人を集めまして、初対面の人同士でペアになってもらいます。男女関係なしのペアです。そして「5分、好きなように会話してください」と伝え会話をしてもらいます。その後にアンケートをとります。「どのくらい相手を気に入りましたか?」、「自分の会話をどう思いましたか?」といった内容です。アンケート結果を集計してみると、多くの人が「相手は自分のことをそんなに気に入らなかったと思う」と言いました。逆に言えば「自分は相手にそんなに気に入られなかっただろう」ということですね。

でも、実際はまったくそんなことありませんでした。自分は気にいられていないだろうと思っていたのに、相手側からすると「結構よかったです」と好意をもっていた確率がほぼほぼだったということ。ここから導き出される結論として、大抵の人はコミュニケーションの自己採点が無駄に低いということが導き出されました。ほかの4つの実験でもほぼ同じ結果が出ているんですね。

好意のギャップに落ち込むな

ハーバード大とイエール大のこの共同研究チームは、この結果のことを『好意ギャップ』と名づけています。自分が感じているより、相手がこっちに感じている好意の方が大きいということですね。ここにギャップがあるということで「好意ギャップ」という名前がついています。

大抵の人は自分のコミュニケーション能力を過小評価しすぎているということです。よくあるパターンとしては「あそこでもっとこういうこと言えていればよかったのに」とか「あそこであれ言ったのは失敗だったな」というパターンです。これによって自分のコミュニケーション能力を過小評価してしまうということですね。さらにいうのであれば、一旦相手に気に入られなかったという気持ちが起きると、このグジグジした気持ちは長いこと続く、と。すぐには消えないとも言われています。

研究者はこう話しています。「日常的なコミュニケーションの場では私たちが相手に与えた印象について自信がもてず、会話中にとった行動に対して必要以上に批判的な目を向けてしまう。一般的に人間はほかの場面ではとても楽観的な生きものだ。それにもかかわらず、コミュニケーションの場では急に悲観的になってしまうのは驚くべき現象だ」

どうですかね。人間が楽観的な生きものかどうかに関しては、それはタイプによるんじゃないかと僕は思います。エニアグラムのタイプによるんじゃないかなと。このハーバードとイエールの共同研究のチームは「人間は楽観的な生きものだ」としていて、それでもコミュニケーションでは悲観的になってしまうとしています。

どうしてコミュニケーションだけに対して悲観的になってしまうのか。そのことに対しても、この研究チームは結論を出しています。「おそらくこれは自己保身のための悲観主義なのだろう。私たちは他人が本当に自分のことを嫌っている事実に耐えられないので、その前に相手が自分を気に入っていないと推測するのだ」としています。

言っていることとしては「この『好意ギャップ』は、自分が傷つかないための予防線だ」と。そういう結論に達しています。

この実験がもう1個驚くべきこと言っているのが、「どんな会話でも好意ギャップは起きる」と言っているんですよね。

どうですかね。相手が自分にとって重要じゃない人の場合は、そんなにこの好意ギャップって生まれないんじゃないかな、と。僕の場合はそう思うんですね。そこに意識がいっていない、気持ちがいっていない、みたいなこともありますし、「すべてのどんな会話でも起こる」と言われると、果たしてどうなのかな、と思うところもあります。

けれど、その前の「自分を守るため」、自己保身のための予防線として好意ギャップをはるというのは、ものすごく納得できます。これ意識的にやっているわけじゃないですよね。自分そのものが嫌われるのはものすごく痛いですから、自分本体が嫌われたんじゃなくて、自分のコミュニケーションが低いから相手から好意を得られないんだと自分で思いこむ。無意識的にそうしてしまうのは、ものすごくよくわかります。

けれども、こう考えてくるともったいないですよね。相手は好意をもってくれているのに自分が傷つかないことを優先するがために、ああでもないこうでもないとグジグジ考えちゃうわけじゃないですか。しかも自分だけがグジグジしていて嫌な気持ちになるわけじゃなくて、相手にも伝わりますからね。自分が思っているっていうことは。なので「好意ギャップが起こるんだぞ」と知っておくっていうことが大事だと思いました。

今日の結論としては、相手と話していて「こう言えばよかったな」、「ああ言えばよかったな」とグジグジすることが出てきたら、「お!きたぞ!好意ギャップだ!」とまず自分で知ることですよね。「相手は僕が今感じているよりも、きっと好意をもってくれているに違いない」と。「ここでグジグジしているのはただ単に自己保身の予防線だ」と考えるわけです。そうなると、このグジグジから抜けて、もっと相手とうまく次の会話を考えていけたりすることに繋がっていく。

自己保身のための予防線で考えてしまっているんだと知っていれば、次の手も早めに出していけると思うんですよ。好意ギャップ。これを知っておくのと知らないのとでは大違いだと思いますので、これから初対面の人と話をしてみたときにこういう気持ちが出てきたら「やつがきた!」、「好意ギャップがきた!」ということで取り扱ってみてください。



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