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キャリアの転機での成功は、裏に〇〇があったから!

*この文章は、ボイスメディア「Voicy」にて放送した内容を書き起こしたものです。noteでは通常配信の内容をメインにお届けしております。恋愛でもビジネスでもモテるをテーマに。音声でお聴きいただける方は以下からどうぞ!


岸正龍です。今回は「キャリアの転機」のお話です。みなさんもキャリアの転機がいくつかあったかと思います。当時いかがでしたか。これからまさに転機を迎えるかたもいるかもしれません。

僕的には、事業に絡んで大きい転機が2つありました。そういったところも交えながら、「成功の裏」にあるものについてお伝えしていきます。

転機の裏にあったこと

僕の転機の1つは、東京のデザイン事務所時代。紆余曲折あって途中から代表をしていましたが、それを閉じて名古屋の実家に帰りました。実家がやっていた宝石屋に入り、宝石の販売員を始めたんですね。

そして、もう1つは実業のMonkeyFlipを始めたあと、講師になろうと思い、講師業を始めたときです。この2つは結構大きな転機です。

今日お伝えしたいことは、その背後には何があるかということ。そして、背後にあるものをどう越えたかという話ですね。

具体的に言うと、「危機」です。クライシス、デンジャー。もうこのままじゃダメだ、倒れる、という危機感。あるいは諦め。とにかくネガティブなものがあって、どうしようもなく、一歩を踏み出さなければいけなかったのです。

押し込まれるとバネになりますね。スプリングは一度グッと縮まないとブーンとはねないことは、聞いたことがあると思いますが、まったく同じです。僕だけかもしれませんが、僕の場合はそうでした。

1度目の東京でデザイン事務所を閉めて、名古屋に帰ったときです。デザイン事務所は一時期ものすごくうまくいっていました。原宿にタレントショップがあった時代。そのショップの仕事をしていました。

とても売れて、月に1,000万円とか3,000万円とか売っているような店の商品企画デザインを、一手に請け負っていたんです。その店が5個ぐらいあったので忙しかったし、それなりに良い生活もしていました。

僕は当時27、28歳と若かったので、このウハウハ感がずっと続くと思っていました。世の中も終わりかけていたとはいえ、まだバブル絶頂期でした。ところが一瞬でブームも去るんですね。ブームがパッと終わり、原宿のタレントショップが一気に店を閉めました。そうしたら、僕は一文なしです。

それまで色々なデザインの仕事をしていましたが、ウハウハになってそれまでやっていた仕事はみんな辞めてしまっていたんです。そこにきて、原宿のタレントショップが閉まり、親亀転ければ小亀も転けるということで、どうしようもなくなりました。そのときの人間のドロドロは、いつかまたお話はしたいと思いますが、ドロドロになって名古屋に、文字通り、逃げ帰りました。

そこから親元で働きましたが、負けた感半端ないんですよ。自分の力ではなく、外的な力によって僕は自分のやりたかったデザインの仕事を、諦めざるを得なかったわけです。そして親元に帰り、働き始めます。

ただ、その「負けた感」。もう1回この悔しさを晴らす!という思いで、僕の中にものすごい力が蓄積していきました。その蓄積が、数年後にMonkeyFlipという店をおこす原動力になっていきました。この流れになっていなかったら、僕はいまのMonkeyFlipをおこしていなかったかもしれません。

この「強い意志」と言いますか、恨み、つらみ、のようなもの。

それがあったからこそ、MonkeyFlipを立ち上げられましたし、メガネ業という全く知らない分野で店を立ち上げ、工場さんもデザインの仕方も分からないなかでも、そこからオリジナルの商品を出して、今に至っています。これが1つめのキャリアの転機でした。

手放すことで残るもの・始まるもの

もう1つは店をやりながら、今こうしてvoicyでお話していることも含めて、講師を始めたことです。

これはどうして始めたかというと、MonkeyFlipをずっと続けてくるなかで、仲良くなってくるブランドさんがいらっしゃいまして、シルバーのブランドさんなど、そういう有名で強いブランドさん、僕が憧れているようなブランドさんやアパレルもあります。

そういうカリスマ的な経営者さんや、すごく魅力的なデザイナーさんによって、その人の力でブランドになっていき、影響力を持ってたくさんのファンをつけるところに僕も憧れましたし、そういうブランドになりたいと思いMonkeyFlipをずっと続けてきました。

続けていく中で、不幸にもその中の何名かはお亡くなりになりました。そうすると、ブランドもなくなってしまったんです。そうでなくとも、ものすごく規模が小さくなってしまうのを、何件か目の当たりにしました。それがものすごく嫌だなと思ったんです。

僕はMonkeyFlipがすごく好きで、しかも「なんとしてももう一度!」と奮起してつくったブランドです。僕が死んでもMonkeyFlipは続けたいという思いがあり、どうしたらいいか考えたんですね。

いくつか僕が見てきたブランドさんは、絶対的な経営者や、クールなデザイナーさんが亡くなられたことにより、急に勢いをなくしてしまった。そうであれば、僕が元気なうちに移譲すればいいんだと。権限やそういったものすべてを。

僕が元気なうちに、社長を譲ったり、デザイナーを新しく発掘する。僕がいつ死んでもMonkeyFlipが続くようにしていこうと思ったんですよ。

そこで、僕が一番最初に行ったことは、僕の給料を落とすということです。もう辞めると決めた人間が、ふつうの給料をとってはいけないということで、最低ギリギリにしました。

最低ギリギリとは、減らしても僕が情熱を持って仕事ができるぐらいです。初任給ぐらいですよ。それぐらいの給料に落とした。でも、それでは僕が生活できないので、何か自分で自分の生活を支えることをやらなければいけない。僕は何がやれるだろうと。第一線からひくとは、自分で言い出したことです。それによって経済的な危機を迎えるわけですよ。

考えた結果、「よし!今まで自分が培ってきたものを、外に出していく講師の仕事をやりたい!やろう!」と決めて今ここに至る感じです。

新しく始めるとき、成功に必要なことは?

ここからいままでの時間で、どうしてこの2つがうまくいったかということですが、それは「準備」と「投資」です。

僕はMonkeyFlipの立ち上げも、講師をやるときも、けっこう下調べをしました。暗闇に石を投げてラッキーで当たったというよりは、どの道を通ってどうやっていけば、どのような成果が出るだろうというリサーチはものすごく綿密にしました。

リサーチした上で、この人に聞いてみたいという先生についたり、ここにはお金を払っていろいろ考えて貰いたい、手伝ってもらいたい、そこに投資をしました。

今の時代に僕の考え方としては、3年自分で頑張るところを、リサーチや投資をすれば、それが半年で済むと思っています。みなさんもキャリアの転機のとき、投資を惜しまないでください。そして悔しさは必ず力になります。応援しています!



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