認知症について考えてみる
1.認知症とは?
認知症という言葉が出てきたのは2004年12月24日から。厚生労働省の決定により、痴呆という言葉の代わりに使われるようになった。
認知症についてなんとなく知っているけれど、はっきりした意味については知らないので調べてみた。
政府広報によるとこのような定義がなされている。
大抵は65歳以上の高齢者が65歳未満の方も発症する。若年性認知症として呼ばれるものだ。
この認知症は誰もが発症する可能性があるものだ。
認知症という言葉が出てから20年くらい経つが、認知症という言葉は今は当たり前のように浸透されている。
私の家族も認知症になった人が出たりと、身近なものになっていった。
なぜ認知症について書こうと思ったかというと、認知症になる原因ってこれもあるんじゃないかと感じたことがあったからだ。
私の家族の話、そして職場の隣のおばあちゃんの話をしながら認知症について書こうと思う。
2.ひいおばあちゃんが認知症になった話
私の母方のひいおばあちゃんは長生きしていた。94歳まで生きた元気な人だった。
ずっと神戸に住んでおり、にこにこと笑う人だった。
ひいおばあちゃんは老人ホームに入るまで、一人暮らしをしていたが、ある日住んでいるアパート内で転倒し、数日間動けなかったらしい。
当時おばあちゃんがお世話になっていた宗教関係の人に助けられたらしく、なんとか病院に入院、その後、介護認定を受けたのだった。
その後、老人ホームに入って少しずつ認知症になっていった。
大けが+環境が変わったことによって認知症になったのだろうと思われる。
ひいおばあちゃんは私のことを覚えてなかったが、若い頃の娘こと私のおばあちゃんに似ているとよく言ってきた。その際、娘はあなたほどふっくらとしてなかったけどねと容赦ない一言も。
そんなひいおばあちゃんにとって人生で一番悲しい出来事が起きた。
それは娘こと私のおばあちゃんが亡くなったことだ。
親にとって悲しいことは子供が先に亡くなるということ。それは親と子供が互いに年をとっても同じことだ。
おばあちゃんが亡くなったと知らせを聞いた時に最初に心配したのはひいおばあちゃんのこと。大丈夫か、ひいおばあちゃんと娘を亡くした母親の心を案じた。
私が駆け付けるまでにはひいおばあちゃんは荒れていたらしい。なんで先に亡くなるんだーと泣いていたとか。
その後、ひいおばあちゃんは認知症ながらもおばあちゃんが亡くなったことをしっかりと受け入れており、後を追うように同じ年に亡くなったのだった。
3.おじいちゃんが認知症になった話
母方のおばあちゃんが亡くなった後、その母であるひいおばあちゃん以外にも心の中で衝撃を受けた人がいる。
それはおばあちゃんの夫ことおじいちゃんである。
おじいちゃんはおばあちゃんが亡くなった後、一人暮らしをしていた。
おじいちゃんについては以前、『いつか死にゆくあの住処』で書きました。
認知症についても軽く書いたので、ここでは詳しく書こうと思います。
おじいちゃんは現在存命、老人ホームで過ごしいる。(2024年10月)
おじいちゃんが老人ホームに入ったのはコロナが流行する数年前のこと、それからはずっと会ってない。多分、次に会うのは葬式だろうなあと思う。
それを考えるほど疎遠になっていった。
おじいちゃんが老人ホームに入ったのは大腿骨骨折と認知症を発症し、介護認定を受けたからだ。
おじいちゃんが入院した時、私の母や親戚のおじさん2人が駆け付けた。その際、母だけがおじいちゃんが何となく変と気づいたらしい。その後、医者の診察を受けて、認知症と診断されたというわけだ。
おじいちゃんは元々寡黙な人だったが、認知症を発症してからはもっと寡黙になったらしい。
現在は穏やかに老人ホームに過ごしているが、施設に入るまではすごかった。それと同時に思ったことがある。
もしかしたらおじいちゃんはとっくに認知症を発症していたのではないかということだ。
おじいちゃんは昔からエキセントリックな性格の持ち主、霊感商法とか怪しいもの、詐欺に何度も騙されて大金を支払ったことのある人だ。
これだけしてれば儲かるというものに何度もしがみつき、家族にさんざん叱られたのにも関わらず、騙される。最終的には警察のお世話になったこともあるほどだ。
一家の問題児みたいなおじいちゃんだったので、認知症と疑うことなく、いつもの変な感じをやったんだなあと思っていた。
とはいえ、おばあちゃんが亡くなってからというものの、冷蔵庫には一人暮らしにしては多すぎる大量のケーキと卵、部屋は散らかり放題、浴室の壁には民間療法を信仰しているのか自分の糞を塗りまくるとか、尿を飲んだりとかやばいことをしていた。
おばあちゃんという止める人がそばにいなかったせいなのか、やりたい放題。最終的には大腸内で出血したとか肝硬変になったとかとんでもないことになった。
もしかしたらおじいちゃんは他人やご近所さんに迷惑をかけていたかもしれない。
そう思うと申し訳ないと思う。
認知症と認識していたら何かしら対応できたかもしれないが、普段から奇行を繰り返していたら、あらゆる奇行をいつものことだと思っていただろう。
何かが違うとかおかしいと思ったらそれをしっかりと逃さずに対応しようと思う。
4.定食屋の隣のおばあちゃんが認知症になった話
私は普段は定食屋の店員として働いている。定食屋には様々な客が訪れるが、一番たくさん訪れるのはお隣の雀荘のオーナーであるおばあちゃんである。
おばあちゃんは常連さんだが、癖の強い人間でとにかく図々しい。
期間限定などあらゆる事情でなくなったメニューについて延々と何度も頼むなど、店員を困らせるほどのことをしている。
接してみるとこの人、末っ子体質なのか甘やかされていったんだなあとおいうのがわかる。
これ、自分でもできるやろということをなんでも人に頼りっきりなのである。
一度関わったら二度と関わりたくないというほどの性格の持ち主だ。
どれだけ図々しいのかというと、近所の喫茶店を出禁になるほど。
その時のことについて、おばあちゃんが愚痴ってきた。
喫茶店の人に嫌味を言われた、私は悪くないのにと。
その時は準備中で忙しかったので詳しいことを聞かなかったが、なんとなく普段の行いから想像できた。おばあちゃんが悪いだろうと。
このおばあちゃん、数年前に認知症になってからは益々図々しくなってきた。
認知症になってからは
・準備中にも関わらず勝手に店の中に入る
・金を支払った支払ってないだのとのトラブル
・数年前にアイドルタイムにコーヒーを無料で提供するというサービスをやっていたが、現在はやってない。それにも関わらず、月に一度、コーヒーはないかと尋ねる
ということが起きた。
コーヒーに関して思うことは他にもある。
おばあちゃんの店の前にはコーヒーを売っている自販機がある。
あと、世の中にはコーヒーメーカーやインスタントコーヒーがある。お湯さえあれば簡単に楽しめるものだ。
それなのにお隣のおばあちゃんはコーヒーを求めに店に来る。
一度、学生さんが自販機にもコーヒーあるからそれを飲めばいいのではと話したことがある。
その時は、おばあちゃんは気分転換できる場所が欲しいとのことだった。
気分転換するのは自由だが、延々とないものねだりをするのはどうかと。
それと同時に自らの振る舞いによって気分転換の場所をなくしていくおばあちゃんを哀れだと思った。
そういう癖の強いおばあちゃんを見ていると認知症になったのは年齢のせいなのかと思う。
見た限り、おばあちゃんには大けがをしたということはない。足腰がぴんぴんとしていて元気であり、この様子だと介護認定を受けることはなさそうだ。
他にも原因があるとすると、性格故なのではと思った。
というのは、NHKでたまーに放送される番組から。
どんな番組かというと、NHKのスタッフが限界集落に数日間滞在して、地元の人たちと交流するというものだ。
その限界集落のおじいさんやおばあさんはみんな元気で、ぴんぴんとしている。
お隣のおばあちゃんと同じ年齢の方たちが、みんなそれぞれ農作業をしたり、狩りをしたりして生活を営んでいるのだ。
なぜ、限界集落のおじいさんやおばあさんがすごく元気なのか。
それは限界集落は自分たちが何かをしないと生活が成り立たない環境だからなのではということだ。
自分で生活に関することをするというので限界集落の人たちは生きている。
その環境があるからこそ、脳が刺激されて生き生きとしているのだろう。
そう思うと、自分で何かをするというのは大切だと思った。
自分ではできないことを誰かに頼るのも大切だ。
ただ、そのバランスが崩れると大事なことを見失うと思う。
今後はお隣のおばあちゃんを反面教師にして生きていこうと思った。
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