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自己肯定感を復活させる自分計画(2022/04/30)
1.イエスマンはどうあるべきか?
![](https://assets.st-note.com/img/1651240321706-v9CcrIQejR.jpg?width=1200)
イエスマンというのを聞いたことはあるだろうか?
私が知ったのはそういうタイトルの映画があるらしいとことからだった。
主人公が何もかもイエスと言うことで、人生がよくなるという話らしい。
今度、見てみようかなと思う。
さて、このイエスマンというのは自己肯定感を高めるには必要なのではと思ったのだ。
映画の主人公はイエスマンになることによって人生だけではなく自己肯定感もよくなったはず。
というわけで私も自分に対してイエスマンになろうと思う。
しかし、イエスマンは時と場合によって使い方を考えるべきなのではと考えたことがある。
自分自身に対してイエスマンなのはいい、しかし他人にイエスマンになるよう強要するべきではないのではと思ったのだ。
2.自分の経験、原因は鏡である親父だった
![](https://assets.st-note.com/img/1651240357304-uKrxDBeOjl.jpg)
私は過去は嫌な奴だった。
機嫌が悪いことで八つ当たりし、周りに自分の悲しみをわかってもらおうとしていた。
相手が幸せそうにしているのを見るとなんとなく怒りがこみあげていたのだ。
どうして自分が嫌な奴だったのかと振り返ってみたが、もしかしたら親父が原因かもしれない。
親父は昔から自分が気に入らないことがあると怒ったりしていた。
何気ない発言が親父にとって怒りの導火線だったりしていて、昔から私たち家族は親父に対して緊張していた。
しかし私は親父に対してそれはおかしいのではと臆せずに発言したことがあり、それで何度も衝突していたのだ。
もしかしたら私は親父の姿を見ていつの間にか身についていたのだろう。
親は子供の鏡、そういうわけで私は自分の気分の八つ当たりを周りにしていたわけだ。
3.イエスマンを固めていた元友人の話
![](https://assets.st-note.com/img/1651240891422-o6YpJn5pt8.jpg)
他人にイエスマンをするようしていた話は自分以外にもある。
私にはかつて仲良くしていた人がいた。
その人とはなんとなく馬が合っていたのだが、付き合う内になんか息苦しいなあと思ったのだ。
それは友人が自分の周りをイエスマンで固めていたからだ。
自己肯定感を高めるためにイエスマンを固めるのは手っ取り早いと思う。
周りは自分の行動を肯定し、否定しないからだ。
とても居心地がいいものだろうと思われる。
しかし、人間は自由な意思を持つ。
定められたプログラムで動くロボットのようにイエスというわけではない。
これはおかしいなと思ったらきっぱりと言う人もいるだろう。
イエスマンじゃない人が周りにいたらそれはそれで不快だろうと思う。
苦痛であり、最悪なことだと考えられる。
完璧なイエスマンで囲まれたいなら強い権力を持つ独裁者くらいしかできないのではと思った。
私は時には馬鹿じゃねえのということがある。
その友人とこのまま付き合っていたらいつかはぽろりと本音が出て相手と大きな衝突をするだろうと危惧していた。
そういうわけで私は友人と付き合いを徐々に減らして絶っている。
4.正反対の意見を聞き入れるのは大切だけど……。
![](https://assets.st-note.com/img/1651240941130-bfiZVZPzrk.jpg)
周りをイエスマンで固めるのはよくないと自分の考えを示したが、どんな相手と付き合うのはそれぞれ個人の自由だから強く言わない。
あくまでも適当に聞き流してほしい。
反対の意見を言われて反発する気持ちは私にもあるからだ。
自分にとっていいなあと思う相手は褒めるのと叱る、アドバイスをするのが得意人だ。
私は実は小説を書いていて、意見がほしいなあと思って二人の知り合いにお願いしたことがある。
私の小説は読みにくいと言われて、あれこれと長文でアドバイスをもらった。
まあ、いろいろとアドバイスを聞くのは大切なのだが、正直心が折れるほどぼろくそに言われたものだ。
こんだけ私の小説はひどいのかと落ち込んだ私は相手に無駄な時間を使わせてしまったこと、そしてもう二度と読まなくていいからと返事をした。
すると、相手からはユーモアなのは良いことだしそこのところは才能があるから卑屈になることはないと言われたのだ。
返信を見た瞬間、え、何これ。最初に言ってほしかったなあと思ったものだ。
それと同時にこの人たち、叱るの下手じゃねと思ったのだ。
叱るとき、あるいはアドバイスをするときは先に褒めてからやるといいと軽くネットで見かけたことがある。
それを事前に知っていた私はなんとなく二人に対して嫌な気分を持った。
そのうちの一人は他のことでも軽くディスってきたのでああ、こいつは人を見下す人なんだなあと嫌になって疎遠になった。
それからは無理に自分の価値を確かめようとしない。
褒める人、叱る人が下手な人に出会いたくないし、アドバイスを求めるのは自分が甘えたい証拠なのだと思う。
自分を信じたいならさっさと他人に頼らずに自力で頑張ろうと決意した。
5.イエスは自信を持つ言葉
自分を励ますのは自分だ。
自分が何を求めているのか真っ先に理解しているのは自分だ。
イエスと肯定するのは時には難しいかもしれない。
しかし、このイエスは自分の新しい扉を開くカギにもなる。
自己肯定感を復活させたいならとりあえずイエスと言ってもいいかも。
否定ばかりでがんじらめだといつか自分の首を絞めちまうぜ、野郎とも。