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今思い返すと不登校は大切な経験だった

今振り返ると、不登校の経験は、私の中で一番大切で大きな経験だと思います。

現在不登校で悩んでるなら、そこまで悩まなくても良いと思います。とりあえず少し休んでみてください。
不登校でも、そうでなくても、どのみち考えなければいけない事が少し出てきますが、しっかり考える事が出来るようになるまで待っても大丈夫です。(焦る気持ちはものすごく分かります!私もそうでした。)

今回はなぜ不登校になって、どう解決して、そのあとどうなったのかについて、覚えている範囲で書きました。

不登校について話す事に対して、少し恐怖もあります。
現在仲良くしてくれている友人や、関わりのある方々のほとんどは私が不登校だった時期を知らないから。

だけど自分の経験が、誰かを勇気付けることにつながると確信し、書く事にしました。

不登校になるパターンというのがいくつかあるような気がします。
私はどちらかというと、心身ともに生活を送れる状態ではなく、不登校にならざるを得ない状況でした。今、同じような状態にある人は今すぐ自分の生活を送れるようになるまで、無理をしない事が一番早く解決できると思います。

頑張る事も大事だけど、頑張らない事も同じくらい大事!

現在の私

不登校を経験した後のことについて少しだけ。
中学卒業後、高専(中学卒業後に入学できる5年制の学校)に入学しグラフィックデザインを専門に学び、その後将来に悩み大学編入して現在は4年生(21歳)。卒業研究と、授業と、読書と、制作に励む日々。(現在は夏休み)

高専4年の頃、将来に悩みすぎて訳わからなくなって大学編入の選択をしました。
そんな感じで、今も将来には悩み続けていますが、今回は将来ではなく過去を少しだけ振り返ります。

不登校を経験したのは、中学2年の冬から中学3年の夏頃までです。
当時住んでいた家の目の前の公立中学校に通っていました。

なぜ不登校になったか

正直、なぜ?と言われても、こうだから!というはっきりとした回答ができないです。10年近く前の記憶だからというのもあるけど、当時の私が私自身を理解しきれてなかったからかなと思います。

体調不良
まず、ご飯が食べれなくなって、1週間ほぼ何も食べないまま毎日学校通ってたら10kg減った。体はボロボロだけど、当時ちょっと太ってたので丁度よかったなと思うことにしています。
ちなみに現在はこの頃からさらに4kgくらい減っているので、さらに軽くなりましたね!

(半年くらい前から筋トレをしているので、筋肉多めになりました。嬉しい。)

ある日突然人が怖く感じるようになった
これに関しては、本当に心当たりがなかった。
いじめもなく、友達もいて、学校は嫌いだったけど仲のいい友達に会うために学校に行ってたような感じでした。
体調不良が始まった頃は、しばらく学校に通っていたのですが、ある日突然人が怖く感じて、心の底からこんなところに行きたくないと思い、学校に行くのをやめました。

今思うと、人間関係特有のギシギシするようなエネルギーに対して敏感だったのかもしれません。(今も変わらずですが、受け入れてうまく生きてます…)

起立性調節障害
診断が下りたのは中学3年に上がってからだった気がしますが、言われてみれば、典型的な症状は、人が怖くなる前からありました。

結局、不登校克服した後も18〜19歳くらいまで生活に支障が出ていました。生活指導や投薬治療などを行いながら、4年くらい付き合う事になりました。

そういえば、この頃からものすごく小食になりました。1日1食か2食でいいのにな…と思うレベル。

17〜19歳くらいまで、Twitterで起立性調節障害や不登校に関する情報発信をしていました。そのアカウントはもう消してしまいました。

義務教育の特殊な環境
なんとも言えない違和感がありました。当時の私は、それを言葉にする方法も行動する方法も知らずに、ただ一人で悩んでいました。
教員やクラスメート、なんだかもう全てに違和感があったのですが、違和感を抱く自分がおかしいのではないか、と延々自分を責めていました。

不登校の期間中何をしていたのか

通院
不登校になり始めて少し経ってからが多分体調不良のピークでした。週に2、3回通院していた時期で、病院通いと体調不良のしんどさだけで1ヶ月すぎていたりしましたね…とにかくしんどかったし、どうすればいいか分からないもどかしさもありました。

当時14歳だったので大きい病院の小児科に通ってた。あとは、月に数回カウンセリングに通っていました。

本を読んだり、アニメを見たり
とにかく、体調不良で動けないし、不眠で頭もイマイチ働かないからできる事が限られていた。何を読んでいたのかも何を見ていたのかも覚えていないけど、ちょっと気を紛らわす事ができていた気がします。


小さい頃からずっと絵を描いたり、作ったりする事が好きだった事もあり、どんなに辛い時でも心の支えになっていました。16歳くらいの頃、芸術療法に興味を持っていた時期もあったけど、この経験によるものかもしれません。

たまに学校
中学校が家の目の前だった事もあり、夕方くらいにちょろっと先生に会いに行ってプリントを受け取ったり、最近どうしてる?などの話をしたりしました。

体調安定し始めてから、学校に再び通うようになるまで

多分、これを読んでいる人が一番気になるのはこの部分かなと思います。

学校に通えるようになった要因としては、学年の先生の理解と、自分自身の将来を考えられるようになるまで心身ともに少し回復できたというところが大きいと思います。

学校の理解
これが一番大きいです。3年生の時の担任の先生が、サポート校で勤務されていた事もあり、理解があったと同時に、今思うと対応に慣れていました。

頑張らなくていい、無理もしなくていい、出来ることからやっていこう
と言われてすごく安心したのを今でも覚えています。

将来やりたい事を考えた
将来やりたい事をやるために今出来る最善の選択が、たまたま「学校に通う」だったからです。

体調不良に慣れ始めた頃、やっと中学卒業後の事について考え始める事ができました。

状況等色々複雑な場合が多いですが、最善の選択が違うものであれば、迷わずそれを選べばいいと思います。というか、鷲掴みするくらいの気持ちで選んで欲しいです!

この辺りから、週に2日、頑張る時で4日という感じで通うようになります。

結果的に言ってしまうと、週に2、3日通えるようになってからはかなり早かった気がします。数ヶ月後には普通に毎日通っていました。
わたし自身そうだったのですが、多くの人にとって最初の一歩がとても大変だと思います。1回行くだけでいいから!と周りの方は思うかもしれませんが、わたしたち当事者にとっては、その1回が、人生をまるっきり変えてしまうような、天地が逆転してしまうような、そんな重さなのです。

高専に入ってからも色々あって、体調不良で留年寸前になったりしたのですが、これも近いうちに書きます。

不登校の所感

事実をつらつらと述べましたが、どのあたりが大切な経験なの?と言うところにフォーカスしていきます。(やっと…!)

まずは、当たり前に行っていることが実は当たり前じゃなかったと言うこと。

毎日朝起きて、元気に学校に行って塾に行って…それが当たり前だと思っていました。
だけど全くそんなことはなかった。

体調不良で眠れないから朝から体調は最悪、起き上がるのがやっとで学校に行けるほど体力もない。友達と会話するほどメンタルが安定していない…今まで当たり前のようにしていた事のほとんどが出来ない。
そんな現実を目の当たりにし、当たり前は当たり前じゃないと言うのをこれでもかというほど思い知らされました。

15歳でこれに気付けたのは超ラッキーだなって思っています。

好きの力を大切にする

不登校をきっかけに、自分自身の将来を真剣に考えることが出来ました。

ただ、不登校期に将来を考えるのはかなり辛いです。暗闇の中でダイヤを探すような気持ちでした。
だけど、将来を具体的にして今できる行動にまで落とし込むと、急に光が差すんです。

例えば、当時のわたしは「デザインの仕事がしたい」というのがなんとなくあったのですが、どういう学校を卒業したらデザインの仕事ができるのかを探し、そのためには中学卒業後にどのような学校に進学すればいいのかというのを逆算的に考えていきました。

「好き」や「やりたいこと」を実現するには何をすればいいのか?というのをすぐできる行動にまで落とし込んで考えるようにしています。今も大切にしている考え方です。

今できる行動が見つかったからと言って、すぐに100%出し切れるわけではなかったです。
体力も落ちて、長時間起き上がるのも厳しい中で勉強や読書は難しかったです。なので、最初の1〜3ヶ月くらいは、体力を少しづつつけることに専念しました。5分でもいいから外を散歩するとか、そのくらいの事でも大丈夫だから、頑張って続ける事、だけど無理はしない事。気にする事が多く難しく感じるかもしれませんが、

わりと感覚で大丈夫!
あ、今日無理そうって時はやめておいた方がいいし、面倒だけど行けなくはないなって時は行った方がいいかも。体調不良が長く続くとなんとなく分かってきます。


意外と人生なんとかなると思います。

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