推し活
「推し活」って、いいなぁ〜と日頃思っている。推しがいるという人は、キラキラしている。おばさんになっても、推しの力は絶大。しばらく前のことになるが、都内のホテルのお化粧室で、私の母と同年代のマダムたちがオシャレをしていて、お化粧直しに余念がない。車椅子の方もいらしたが、とてもお綺麗。なんと、そのホテルで氷川きよしさんのランチショーが開催されていた。なるほど!
推しのきよし様と会うためにマダムたちは最高に輝いていたのだ。推しの力って素晴らしい!マダムたちの美貌と寿命に貢献していること間違いない!
義姉は、韓流スターを推していた時期があり、コミュニケーションを取れるようにと、韓国語を勉強して、韓国に行けば困らないくらいになったという。世界が広がっている!!!
これは、誰かを好きになることの素晴らしさを凝縮しているように思う。元氣になるよね!最高!
ところが私に推しが存在したことがない。好きになる芸能人さんたちはいたけど、推しと呼べるような熱狂を一度も経験せずにきてしまった。
先日、友人がInstagramのストーリーで「あなたの推しはいますか?」との問いかけに、速攻
「年がら年中、私を推してます」
と回答してしまった。本当のことだ。自分好きとか、そういうことに今はなってしまったけど、元々は、キラキラ感はゼロで、絶望的な孤独の中から見出した私を救う闇の秘策だった。しかも歴史は古く、物心ついた頃から、密かに自分を推していた。何があっても、自分は自分に寄り添って、応援して、理解したい。きっと、そんなことできるのは、この宇宙に私ひとりなのだから、と思ってのこと。物心ついた頃の私は、孤独と恐怖でいっぱいだった。
ネガティブなことがポジティブに変わることの最高のところは、ネガティブが悪いことではないと知ることができる。物事の本質を深く学べるところだ。ネガティブスタートの私は、もうそうするしかないという追い詰められたような心境で、結果として、今となっては当たり前の「自分を大切にする」という本質を学ぶことや実践を50年以上もしてきたことになる。そして、自分を大切にすることは、結局のところ、目の前の誰かを大切にすることになるのだという発見に辿り着く。表面的には、私は人に尽くすようなことを多々してきたけど、根底では、それさえも私を大切にすることだった。私自身の意識の乖離が限りなく少なく生きることができたのは、そのおかげかもしれない。
だって、ひとりでもいいのだもの。
だって、私がいるから。
その過程で、愛する人が出現した。そして、愛する人が増えていった。愛することができることは、この上ない喜び。私はこんなにも愛したかったんだと氣づかされる。そして、私はずっと愛してきたんだと思った。
そしていまだに私は私の推しだ。夫は?って。彼はもう私の一部みたいな存在。私を推して生きることが彼の願いみたいなところがある。そして、彼の素晴らしさを彼が認め輝くことが、最も愛されると感じる瞬間だ。
最高かよ!
私は孤独と恐怖の中、ひとりで自分を支えて生きるんだと自分の最高のサポーターになり続けた結果、今、こんなことになっている。
ひとりでもいいのだもの。
だって、私がいるから。
でも、いつだってひとりではなかった。
だって、私がいたから。
そして、本当にひとりになることなどできないのだ。