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人の幸せは蜜の味

「人の幸せ」が私にとって至高の蜜。
同じタイトルで2006年10月に記事を書いていた。
このことを書くのに「勇気が要った」と記されていた。
自分が物心ついてから、心の中にいっぱいの闇を抱えていた頃からそうだった。あまりに純粋すぎて繊細すぎて傷つくのが怖かったのだと思う。自分の純粋性を疑われるのが怖かったのだと思う。それなのに私は静かに果敢だった。自分の純粋性を守るために、人を理解し、誰も否定することなく人と関わるにはどうすればいいのか。幼いながら震えながら試行錯誤してきて今がある。あの頃から、ずっと自分は果敢だったんだ。
 些細な積み重ねが今の私の強さになったのだと思うと過去の様々なことが愛おしく思える。そう思えないようなことさえも。私が必要としたことだったと。
 そんな時から、私にとって、誰かの幸せな一コマは希望の光だった。
この世はいろんなことがあるけれど、やはり愛があるのだと私が信じたかったからだ。それは心の叫びであり、魂の祈りであった。それほどまでに希求した幸せの瞬間。それは大それたものだけではなく、むしろ、当たり前の中にある小さな瞬間。

その小さな瞬間を見つけるのが得意になった。
真っ暗闇の中でも、霧の中にも、燦々と輝く中にも、その光は見つかった。

 今週は、静かに嬉しいことに触れられた。
内容は書けないけど嬉しい報告があったと幾度もブログに書いてきたけど、嬉しい報告が続き続けているから、ブログを読み返しても、誰のどんなことだったか思い出せないくらいだ。
私の大好きな至高の蜜を分かち合えているということだと思って泣く。
時系列では覚えていないけど、誰にどんなことがあったのかは、しっかり覚えている。だって、その人の変化の道道を垣間見ることができるなんて最高すぎる!
 
 カウンセラーになって18年。この仕事が天職だと思えるのは、人の幸せを何より喜びと感じられる私の質が大きい。カウンセラーだって人間。人生の中で試練は続く。自分がどんな時でも誰かの幸せを祈れる自分であるからこそ、続けていける。私の祈りはここから始まっている。原点がここ。
 あとは信頼して見守るだけ。たったそれしかできないけど、それが私の全てだ。カウンセリングスキルやスピリチャルな能力は、その原点を生かすために磨いてきた。私の祈りは強く揺るぎなくしつこい。私はどこまでも本気で信じているのだ。今日も誰かの幸せは至高の蜜の味がして心が震える。

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