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客観性は神の視点

書くという作業をすることで、自分の考えていることや感じていることを確認したりできて私にとってもためになってます。

そして書きながら、いつも二人の自分がいることを感じています。例えば、「SEXは、お互いの思いやりが大切」と思っている私がいて。そうすると、もう一人の私が「うん、そうだね。でもSEXなんだから、動物的に夢中になることも大事だよね。」と言います。そうそう、どちらも私です。二つ、三つ、時には相反することを考えている。感じている。簡単に言うと、自分の価値観と希望・本音・実感が、それぞれ心の中に存在しているからです。生きて行くにはどちらも大切です。両方あるわけです。それでいいんです。こうでなければならないと思ってしまったら、強くストレスを感じたり、人生の喜びを味わいつくせなくなります。何でもかんでも、本能のままにでは、社会生活に適応できにくくなったりします。

私たちが悩んだり迷ったり苦しくなったりすることは、この二人の自分の間で揺れているためであることがよくあります。「これじゃダメだ」と思っていても「でもこう考えちゃうんだもの、そう思っちゃうんだもの」という状態。自分のすべきことと 感じていること、やりたいことなりたいことが離れている状態です。自分の中でけんかしています。 まず、二人の自分がいることを意識して、そのどちらも受け容れること、どちらの自分も私のために一生懸命に生きていることを感じましょう。そうすると、揺れていた心も落ち着き、二人が仲良く知恵を出し合って幸せを導いてくれるのではないでしょうか。その視点が、客観性と言われる意識なんですね。客観性を高めるために、書くことは、とてもいいことです。 自分の希望を叶えるために、どうすればよいか。それが見えてきます。

客観性こそ、神の視点だと思うんです。

(2004年ホームページに掲載したコラムより)

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朝水久美子
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