動き出した 私はどこへ向かうのか
今年の夏から怒涛の手放しシーズンが始まって、抗わないと受け入れてきた。コロナ禍に入ってから、ありがたいことに何にも困ることが起こらない天国シーズンがあり、拍子抜けしたことを思い出す。穏やかな日常の中、自分の熱い意欲みたいなものを感じた。ああ、もっとアクティブに切り拓いていく!みたいなのが好きなのだと苦笑いした。平穏を愉しめよ!とツッコミを入れたくなったが、有り難く、自分の人生で最大限の平穏を楽しんだ。昨年は、体調を崩したりして、そのケアをしたり、身体に意識を向けなさすぎだったと反省。昨日は、アーユルベーダサロンに行ってケアをしてもらったのだが、その時に「氣が高い、元氣ですね」と言っていただいた。そうよ、氣持ちは元氣なの。身体を置き去りにしてしまうほど、氣は充実している。でも、肉体を氣で引っ張れるほどではないことを実感して、肉体をケアすることも楽しく取り組んでいる。水素吸入をして血管がすごく改善した。目に見えない血管だが、この目に見えない変化はやがて全身状態に現れてくるだろうと思う。肉体は一生大事にせねば、やりたいこともできませぬ故。ね。
今年の夏から怒涛の手放しシーズンが始まって、抗わないと受け入れてきた。棺桶に家族写真と一緒に入れてもらおうとまで思っていたケースレコードを手放すことに始まり、一生続けると思っていた心理カウンセラーを引退することを決めた。
直観というか、内なる声というか、そういうのを聴くと抗えなくなる。もう人生のミステリーツアーを愉しむ。我ながら愚かの極みだと思うが、仕方ない。そうしたいと思っちゃったのだから。そして、そこに従っているといろんな展開が起こる。自分では意図していないキッカケがくる。
え〜?!私、銀座を出るのか??いや、銀座には住み続けるつもりだったんだけどな。模様替えをすることを決め、家具も買ったのだが(!)もちろん、どうするかは自由だけど。いやはや、あんなに穏やかだったのに、私の思考とは別の領域で、突然、色々動き出している。
半年後はどうしているんだろう自分。どこにいて、何をしているのか。
場所は変わらず、全く違うことをしているのか、本質的に同じことをしているのか。それとも、場所が変わって、やることも変わるのか、場所が変わるけど、本質的には同じことをしているのか。考えても仕方がない。導かれるに任せよう。そう来たか!とワクワクするならGOだ。今は、目の前にある情熱を込めてやれることに集中する。講座も、セッションも、めっちゃ愉しい!今を生きる。