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家族の呪いと解放と

 家族療法も大好きな療法のひとつ。私自身も、家族との関係を通じて、自分を発見したり、癒したり、解放してきた。そして、何層にも渡って、いろんなエネルギーがあり、節目、節目で、更なる発見、癒し、解放が起こる。
 それは、自分に流れてくる膨大なエネルギーを受け取る器のようなものが大きくなることにも繋がるように感じている。

 出張中の夫と電話で話していて、父方叔父の話をした。「もう完全にゆるす!だって、あのファイプレーをしてくれたんだから!」と言った私は、何かまた大きな解放を感じた。
 お調子者で、それでいて、威圧的なのは父方男子の彼らのお家芸のように激しく、人から嫌われる才能に長けている。それなのに有無を言わせない結果を残して、なかなかいいポジションにいる。私は子ども心に「なんだそれ💢」と思っていた。だが私は物分かりのよい(?)大人な子どもだったため、いろんなことを「そうなんだ」と丸ごと受けとめていた。そうするしかないと思っていた。理不尽なことも受け入れる。私にはどうする力も無いのだから。。

 状況が変わったのは結婚してからだと思う。事を荒立てないことをよしとしていた私だったが、流石にそれはおかしいということに立ち向かっていく。夫も自分のことのように矢面に立ってくれたり、心強かった。
なーんだ、自信がないから風見鶏みたいにフラフラとあっちについたり、こっちについたりしているだけなんだ。叔父も人間なんだ。と思えた。
 その叔父が、一世一代のナイスプレーをしてくれたことがあった。私の母が命をかけても取り戻したかった我が子のお骨。それを取り戻したら死んでもいいと思っていたと思う。母が最期まで面倒をみて看取った父方祖母のお葬式は、兄弟間で揉めに揉め、父は葬式に出席せず。兄弟は、最期まで面倒をみた父(と母)に葬式を出して欲しいと懇願したが、長男である兄とこれ以上揉めたくないということ、そして、母親のお骨は父親と一緒のお墓に入れたいと思ったのだと思う。実の息子の私の父が出席しない大揉めの葬式に私の母だけが行った。それは、生まれて1ヶ月あまりで亡くなった赤ちゃん(私の兄)のお骨を、最後の最後に取り戻したかったから。まだ若かった私の両親に自分たちのお墓がなく、実家のお墓で預かってくれていた。いつか自分たちのお墓を建てるまでと。
 祖母のお葬式で、祖母の最期を看取った母は何故か、散々、嫌味を言われたそうだが、近所の人は、いろんなことをわかっていて、労ってくれたそうだ。
 祖母の納骨。その日にやっと我が子のお骨をもう一度胸に抱ける。そう思って、耐えてきたであろう母。すると、納骨への出発直前に、「今日はおばあちゃんの納骨なのだから、あなたの赤ちゃんのお骨の件は別の日にして。」と言われ、母は意気消沈。もう取り戻すことはできないんだと思った。別の日なんて。もう2度とここには来ない。仕方なく、トボトボと山の上にある墓へ。祖母の納骨に行き、ひと目だけでも、我が子の骨壷を見たいと思ったのかもしれない。お坊さんが読経をあげ、墓石を動かしてくれる職人さんが仕事をする。その時、お調子者の叔父が「義姉さん、これでしょ?」とヒョイと小さな小さな骨壷を勝手に拾い上げて、母に渡した。朝の会話を聞いていなかったであろう叔父は、機転を効かせたつもりだったであろう。おかげで、母にとっては今世最高の願いを叶えてくれた恩人となった。母は即座に我が子の骨壷を抱き、祖母の納骨を見届けることなく、泣きながら走って山を降りた。
 本当にもう思い残すことはないと思ったのだろう。用意していた自分たちの墓に納骨した直後、母はくも膜下出血で倒れた。その後、奇跡的に生還し、母は自分の人生を歩み始めた。「思い残すことはない」という、その次のステージの人生を愉しんだ。そして、本当の自分のやりたかった人生を実現し、愉しんで68歳の人生を終えた。
 叔父のことは、私自身が母と親戚の間に入ったりなどしたこともあって、いろんな想いはある。だけど、一世一代のファインプレーにより、母の願いを叶えてくれた。母親にとって、我が子、しかも生まれて1ヶ月余りしか生きられなかった初めての子どもへの想いは如何ばかりかと思う。その想いを叶えてくれたことで私の心もスッキリ。その叔父も、時代の変化により、与えられた第二の職場に馴染めなかったと聞く。そして、叔父もまた60代でこの世を去った。
 家族のことは、本当にいろんなことがある。外には見せない、いろんな顔を見てきて、残酷なこともいっぱいあった。だけど、それぞれが良くも悪くも関わり合って、氣づき、学び、ゆるし、それが感謝に変わっていく。それは果てしなく続き、原点につながる。今が変わる。未来につながっていく象徴的な関係なのかもしれないとしみじみ思う。

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朝水久美子
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