死なないで!
積極的に死にたいと思ったことが一度もない私。どこかで生き切らないと許されないような気がして生きてきた。それはサバイバーズギルト的な感覚でもあった。だからこそ、しっかりこの生を全うしなければという感覚も強かった。その勢いで、前のめりで生きてきた。結婚も、出産も、比較的早くに経験し、40歳の時に父を、44歳の時に母を見送った。そして、母が亡くなった間もなく、私は、初孫を44歳で抱いた。好きな仕事を38歳で起業した。家族に恵まれ、素晴らしい人に恵まれ、人間という生命体として、満足過ぎる人生であると自認している。ここ最近、ますます良くも悪くも無欲になってしまっていた。満足すると、何も要らなくなる。天とつながっても心配することなどなく、この世の素晴らしさを見るにつけ、ただただ感動して、ああ、もう大丈夫だ。と感心するばかり。これで充分。やれることはやった。やり切ったと言っていい。と思っていた。
昨日、友人の主催でお仕事があり、その後に彼女から熱烈メッセージを受け取った。すごい勢いで私に
「死なないで!
死んじゃダメ!
まだこの世にいてもらわないと!
長生きしてくださいね!」
と伝えてくれる。
私がこの世に充分満足していることを、もう身体を持たなくてもいいと感じているとこがあることを感じたらしい。彼女のその情熱が好きだ。まだその情熱に触れたいと思わせてくれた。あの種の熱は、どこか怒りのエネルギーみたいで(全然、怒りじゃないけどね)かつ、果てしない愛なのだった。それが例え怒りであったとしてもエゴがないと全部愛になる。そのお手本みたいなエネルギーだった。なんて幸せなことだろうと思った。
昨夜は、2012年の年末を思い出した。縁あって宝石を学んでいて、知らなかった世界をたくさん垣間見せてくれて、体験させてくれた銀座の夜。夫と二人で、和光の時計を見上げながら、私たちはこれからどこへ行くのだろう。どこへ導かれているのだろうと全く予想不可能な感動と未知の世界へ踏み込んでしまった畏れに心を震わせていた。当時、仙台に拠点があったころ。震災後、一年半という時期だった。完全に自分たちの意志というより、導かれているという実感があった。それだけに全く読めない。悪い感じがしないどころか、有り難すぎて、どうやってお礼を、誰に伝えたらいいのかわからなくなった、あの日を思い出した。昨日の彼女のメッセージは、まるであの夜のようだった。
私自身、「あ、このままだと、この人は死んでしまう。」と強く思ったことが2回あった。恩人のような師と私の母だ。今、私は、あのような感じなのか?と思った。師は、あっけないほどあっという間に天に召され、母は、生還した。母は、亡き我が子のお骨を、祖母の納骨と同じタイミングで嫁ぎ先のお墓から引き取り、納骨した時に母の顔には「もうこの世に悔いは一ミリもない。」という幸せに満ちていた。やっと我が子を再び胸に抱けた。きっと、全くネガティブかなくて、ポジティブなのだ。母は、もう我が子たち(私や妹、弟)も大丈夫、と思えたのだもの。そして本当に死にそうになった。脳梗塞で生死を彷徨ったが生還。私はあの時の母の心境に近い。
私がいろんなことに満足して無欲になると夫が、「あ!また神様になってきてる。ダメダメ、美味しいもの食べよう!」と現世的な誘惑をしてくる。「え?美味しいもの!いいね!」とイキイキする私。食べ物や美しいものに目がない私。そういう彼は、私より悟っていて、多くを望まないではないか。私が笑っていれば、彼はきっと幸せで、私のやりたいことを助けられれば、彼はもっとイキイキする。なんて夫婦だ。最高過ぎる。
いけない、いけない。この世をもっと楽しもう!と心を新たにする。美味しいものや美しいものだけじゃなくて、そこに人が介在すると命は蘇る。どこまでも誰かと関われる喜びと刺激は豊かなのだ。彼女の情熱は、私の命にもエネルギーを与えてくれた。
まだこの世にいて。
まるで祈りみたい。
喜んで生きます。
お役に立てることがある限り。
本当にまだまだ生きるつもりです。
だってやる気満々だもん!