1-4 家の外にも世界がある
小さい頃は、世界の全てが家=家族だった。幼稚園に行き、小学校へ行き、世界はその度に少しずつ広がった。内向的という言葉は、面白い。内に向くと書くけど、まさに私は内向的。意識は、内向きだった。内に籠って、外側を観察して、感じたことを内側に持ち込んで自分の中で、受け取り、自分と対話して、消化していこうとした。ずっとそうしてきた。今も変わらないような気がする。消化しきれなくて、身体に出ることもしばしば。外側の刺激を選別もできずに持ち込むのだから。それでも、自分の内側に何も入れないと、内側の響きがわかりづらい。鼓動が聞こえづらいように、呼吸音を聞かないで過ごすように。
外側の刺激や情報は、新しい楽器のようで、遠い国の食べ物のようで、嗅いだことのない香りのようだった。そうやって少しずつ、新しい楽器の音や味、香りを持ち込んで、世界を少しずつ広げていったのだなと今思う。
そして、ある日、今いる狭い場所だけが世界ではないことに気づく。鳥籠の中で、外を見ていたけど、その扉が開いていて、自分が飛びさせば世界を体験できると初めて気づいたような感覚だった。私の場合、そう気づいたのは11歳の時だった。突然、外に連れ出されたような。それは嫌な感じではなく、ある日、憧れの人が手をひいてデートに連れ出してくれるようなときめき。狭い世界(家、家族)だけじゃない、「私の生きる場所は、他にあるんだ。」と気づいた時のシンとしたとても静かな高揚感。でも、ビビりだから、本当に少しずつだった。高校に入学するときも、父の気にいる学校に行くのが務め(笑)だと本気で思っていた。どこでもよかった。女子で県内1番の学校に行けばいいんだよね、なんて思っていた。担任の先生に「どこでも入れるけど、お前は◯◯高が合っていると思う」と言われ、「じゃ、そこを受験します」と決めた。当時、学区があり、入学できる学校は決まっていたのだけど、特別枠で何名か越境できるということで、その高校に入る。その高校は、またそれまでの私の世界にない場所だった。