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シンクロニシティが伝えてくれるもの

 シンクロニシティっていうけど、本当にシンクロニシティに生かされていると実感する今日この頃。画像は、「東京ミッドタウン日比谷」前の広場のアート作品。藁で作られた大きな作品ですごい迫力。豚さんの他に牛さんも。


 豚さんも、牛さんも、お母さん。強烈な命を感じるアートだ。藁という素材も胸に響く。お乳を与える存在の強さと愛は、野生を思い起こさせてくれて、幸せな氣持ちになる。究極の自然で、最高の奇跡。
 本当にちょうど昨日、命の話をした。シンクロニシティがこのアートを出現させてくれたのではないかと思って、静かに優しく驚いた。つながっているんだ、きっと。

 日比谷は、お散歩などでよく来るのだが、今日は、10歳年上でご住職をしておられる尼僧様とお会いするために来た。東日本大震災の前だから、もう15年くらいのお付き合いをさせていただいている。出会ったのは、銀座で、ある方の出版パーティーだった。私は、どうしてそのパーティーに招待されたのか忘れてしまった。知り合いが誰一人いないパーティーで出会った。尼僧様も、お坊様仲間に連れられて来たと言っていた。その時に、私が伝えた言葉を会うたびに言ってくださって、「その言葉が忘れられない」と、氣にかけてくださる。当時、私は仙台に住んでいたので、年に一回、もしくは、数年に一回くらい、タイミングを合わせてお会いしていた。私が東京に引っ越してきてからも、コロナ禍を経て、お互いに近況報告も兼ねて、年に一回ほど、いろんな話をする。話をしていて、感覚が伝わりあって、とても心地よい時間。
 私はその頃から、かなり感覚的に生きていたのだな、と改めて思った。きっとそれでいいんだ。これだけ流れが早いのに、毎回、いろんな話をして通じ合う感覚が出会った時より更に増していくのは、嬉しい。私は、生意氣に素の私で言いたいことを言って、聴いていただけて、お褒めいただけて、友達の少ない私に取って貴重な方だ。出逢いの妙。一年に一回、もしくは、数年に一回、数時間過ごしてパッと別れて、それぞれの人生に戻っていく。
 
 シンクロニシティに生かされてきたと薄々思って来たけど、ここ数年のシンクロニシティは、驚かされる。

大丈夫だよ
安心して
自分の人生を生きな

そんなふうに言われているように感じる。
幼子のような私が最近、生き生きしているように感じるのだ。

※シンクロニシティ:物理的な因果関係によらないで起こる、意味のある偶然の一致を意味する言葉。日本語では「共時性」や「同時性」とも訳される。

 

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朝水久美子
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