ラグビー大学選手権決勝*初心者プチ観戦記
なぜ夫は行くつもりになったのだろうか。
たしかにチケットは確保してあった。しかし今回は、むしろ夫の方が乗り気だった。私はすっかりあきらめるつもりでいた。内心驚き、半分腹がたった。
去年の2月、サンウルブズの試合に行く事を猛反対したくせに!
とはいえ主人にも言い分はある。
窓も開かない高層ビルの職場で、連日コロナ対応に追われる夫。絶え間ない部下からの嘆願、苦情を受け付ける身としては、屋外で17000人と80分間過ごす事などキケンの内に入らない、と感じるのだろう。
なんとも気が張り詰めるラグビー観戦に出かけることになった。
初めて訪れる新国立競技場。
中は驚く程あっさりした造りだった。素っ気ない、というべきか、病院のように白い壁が延々と続く。
私達は入場門からの経路を間違えたらしい。天井の低い狭い階段を登る羽目になり、ようやく最上階の3階席にたどり着いた。
グラウンドは遠い。
でも全体を俯瞰できるので、試合自体は面白く見られるだろう。
私達のお目当ては、天理主将松岡くんだった。
年明けの準決勝。
インタビューに高校球児の選手宣誓の如く答える真っ直ぐな人柄は実に微笑ましかった。試合中の仲間を鼓舞し続ける声にも好感をもった。
いつも思う。主将に選ばれる子はどこか違う。
チームの強弱、個人の力量に関係なく、『組織の柱』となれる人間がちゃんと選ばれているのだ。
早稲田の主将丸尾くんも、大きく深く部員を包み込むような佇まいを持つ。名門チームのリーダーに相応しい好青年だ。どこか雰囲気も相良監督に似ている。
早稲田対天理
事前の戦況予想は難しかった。
早稲田は昨年準決勝で天理に大勝している。
しかし今年天理は明治を鮮やかに撃破した。
あの年明け早々の衝撃は、ラグビーファンをどれだけ驚かせただろう。
とはいえ、
今の関西リーグは天理一強の影響か、どこか試合運びも粗い。
明治戦でみせた緻密な攻撃を天理は再現できるのか。今年の早稲田は僅かな隙も見逃さない試合巧者だ。攻撃のみならず防御の技術も磨きがかかっている。
初心者の私には、この試合の趨勢はまるで読めなかった。
グラウンドでは、公式マスコットに昇格した『レンジー』がお得意の毛振りを披露していた。
観客の度重なる人数制限は、会場を想像以上に広々と見せていた。
席は一つおきだが、空席も目立つ。通路の売店も空いていた。
マスクを外して大声で会話しない限り、飛沫が飛ぶようなことはなさそうだ、とりあえず。
座席に着いて、ようやく気持ちも落ち着いてきた。屋根があるせいか、かなり冷えるが。
選手が入場してきた。まずは早稲田。
彼らは何を思っただろう。
2020年1月
満員の観衆が迎える中の明治との一戦、なんと華やかだった事か。
あれから一年。
大学生にはあまりに過酷な日々、それを乗り越えて、彼らは『この場所』に帰ってきた。
これだけでも、彼らは讃えられるべきだ。
天理大学が続く。
寮内クラスター、という悲劇を超えて『この場所』に辿り着いた。あの時彼らが心に負った傷は、決して小さくない。
会場が大きな激励の拍手に包まれる中、試合が始まった。
この試合前半の感想を『一言』で言えば、
『呆然』の一語に尽きる。
天理、開始10分で2トライ。
その『横に速く、縦に強い攻撃』は、早稲田の防御網をいとも容易く破り去った。
フィフィタくんの個人技、というわけではない。
たしかに彼は、攻撃の要所要所に顔を出した。体の強い彼を一人で止めることはできない。その結果他への備えは甘くなる。
天理は見逃さなかった。
あくまでフィフィタ君はアシストだった。彼からボールを受けた12番市川くんのトライは目にも鮮やかだった。
『接点』という言葉を翌日の新聞は使っていたが、
天理は早稲田のボールを再三奪取、瞬時に攻守は交代した。
早稲田は要所でミスが出始めた。
『ノットストレート』
これまで鉄壁だったラインアウトでのミスは、早稲田の苦しい戦況を如実に示していた。
天理はその後も鮮やかなトライを重ね、前半は終了した。
29-7
私を含め早稲田ファンは総じて言葉を失っていた。
ハーフタイム、なんとも重い雰囲気が会場を覆っていた。会場を埋めた多くの早稲田ファンはここまでの大差を予想できなかったはずだ。
私はたまらず席を立った。
短いが行列のできた男性トイレに対して、女性トイレ前に人影は見えない。驚いて中に入ると、いくつかのトイレは空いていた。
観客人数制限+緊急事態宣言という状況は、図らずも、ラグビーがやはり『男性の世界』にあるスポーツだという事実を私に教えてくれた。
後半が始まった。
早稲田の河瀬くんのトライは実に美しかった。苦境を打開するのは、やはり『個の力』であることを実感させた。
今振り返っても、早稲田の攻撃は、この河瀬くんのトライばかりが印象に残る。
それ以上に天理の攻撃が後半も鮮烈だったのだ。
速く、強く、緻密に、そして大胆に。
その変幻自在なスタイルは、新しい大学ラグビーの姿だったのかもしれない。
いわゆる『純血主義』でもなく、
いわゆる『留学生の個人技頼み』でもなく、
日本で生まれ育った選手と留学生の『ハイブリッド型』
大学ラグビー界で、長年実現できなかったスタイルを天理は創り上げていた。
試合終了 55-28
大学選手権決勝での最多得点、という事実が、私達にこの新しい時代の到来を教えてくれた。
それは、美しく、爽快な魅力に溢れたラグビーだった。
私達はノーサイドの笛と同時に席を立った。主人には自宅でのzoom会議が待っていた。
通路でも、はっきりと天理松岡主将の声が聞こえた。
すがすがしく、熱く、情感に溢れた声だった。
天理おめでとう。
観客の誰もが、この結果に納得しただろう。
私達は長い階段を降りて出口に向かった。
そこには都の職員の方々が、プラカードを片手に呼びかけていた。
試合後の会食はやめましょう!
祝勝会、残念会はやめましょう!
真っ直ぐ帰宅しましょう!
私達は一気に現実に引き戻された。
『まるで、東京都に怒られてるみたいだな』
夫は苦笑していた。
外苑前駅に向かう途中、飲食店の店員さんが、家路を急ぐ観客達に来店を呼びかけていた。
その行為に罪はない。夜8時までの営業を許されているのだから。
『もう、カオスだな』
私は夫の言葉にうなずくしかなかった。
《この国はどこに向かっているのだろう》
トップリーグ内で、選手の集団感染と第1節2試合の中止が発表されたのは、その翌日のことだった。