NDSの挑戦〜レヴニスタの視点から①〜その胸に桜咲くまで☆堀川隆延HC編☆
1、任せてます⁉️の衝撃から〜堀川隆延監督、じゃなくてHC⁉️
それは5月も末のこと。
『NDSは堀川HCに任せています。』
ジェイミー日本代表HCの記者会見での一言、突然の事で驚きましたよ❗️❗️
ラグビー界で『堀川』といったら、静岡ブルーレヴズ監督堀川隆延さん(=タッキー)のことですから😳😳
リーグ戦最終戦を終えて1ヶ月余り。時節柄ハワイ🌺🌺は無理でも、伊豆あたりでノンビリとオフ🍻を過ごしている🏖🏖、とばかり思っていたのに💦
たしかに別府も温泉地♨️、でも旅行ではなく『合宿』とは💢💢
6月4日のレヴフェスもご欠席、前日に大戸さんら3人のレヴズ選手と共に別府入りしていました。
ああ、ジェイミー❗️うちの監督を事実上オフなしにするとは🥲🥲
NDS=ナショナル・デベロップメント・スコッド
すなわち、
日本代表の選手層を厚くするため編成された、『日本代表候補の予備軍』のこと。
代表チームと同一方針での指導の下、要請に応じて日本代表候補に選手を供給する、これがNDSスタッフの仕事でもあります。
とはいえ、
①準備期間はわずか2週間❗️
②各チームから、しかも、若手からW杯経験者のベテランまで幅広く召集
③2週間後には国際試合。しかも、トンガ復興支援チャリティーマッチとウルグアイ代表戦第1戦の二試合を、このメンバーから選抜して編成。
口で言うのは簡単ですが、チーム構築は容易ではなかったと思います💦💦
チームスポーツは『才能』だけでは機能しない、というのは、サッカー日本代表の国際テストマッチでも明らかです🥲🥲
しかもこのメンバーは、日本代表候補の予備軍、試合は即『採用試験』を意味します。お互いがこの小さな枠を争うライバル、そんな選手達をとにかく一つの心にまとめ上げ、
2週間でとにかく『チーム』にする。そして二試合共『勝つ』🔥🔥
おそらく、これがタッキーに与えられたノルマでした。無事クリアできて本当によかったです🥲🥲🥲
2.責務を果たして
今回の2試合は、あらゆる意味で、全く色合いの異なるものでした。
①トンガ復興支援チャリティーマッチ
チャリティーマッチという試合の性質上、試合前後も含めて、もちろん観客の態度も含めて、トンガ王国の名誉と品格を傷つけない試合にする必要がありました。
観客は皆赤いグッズで身を包み、トンガへの声援と拍手を惜しみませんでした。客席は終始和やかな雰囲気でした。
試合に臨んだ選手達は、自分達に課された使命をしっかり果たしてくれました。
試合前の『シピタウ』に挑む厳粛さ、
試合自体の緊張感と覇気あるプレー、
試合後、共に肩を組んだ円陣から紡ぎ出された祈りの言葉と讃美歌の響き。
格調高く、かつ優しさに包まれた秩父宮、ラグビーの試合でこんな美しい風景を見たのは初めてでした。
この試合を見ながら、私はある感慨に浸っていました。
30年前のタッキー 1992年早大1年生
もはや白ではなくうっすら黄ばんだジャージ、その左胸にデカデカと書かれた『堀川』の二文字😳😳
この写真を見たとき正直ショックでした。もちろん、部員の安全管理の観点から、人数の多い一年生はこう識別するしかなかったのでしょう。
しかし、名前というのは、一定以上大きく書かれると、もはや『記号』なのです。その姿はどこか痛々しくも見えました🥲🥲
タッキーのラグビー人生は、この赤黒時代も含め『試練と歓喜』が行き交いながら今も続いています。その流れゆく日々の中で、
黄ばんだジャージは代表スタッフの黒いポロシャツに、左胸の手書きの文字は『勇敢なる桜🌸』になりました。
人生の1ページにまた桜が咲いた🌸そんな晴れ姿でした🥲🥲タッキーは来月49歳になります。
②ウルグアイ代表戦
こちらの試合は、、もう感慨どころではありません🔥🔥
勝たなくては😳😳😳❗️国際テストマッチなのですから。
NDSだから、などという言い訳は通用しません。選ばれし23人は赤白の桜ジャージを身にまとい『日本代表』としてグラウンドに出るのです。種目を問わず、代表監督の仕事は『勝つ』それに尽きます。
ところが、
ややこしい事に、この試合の責任の所在は、代表HCジェイミーなのか、NDSのHCタッキーなのか、どこか曖昧なままでした。
さらに、ウルグアイ代表はランキング上『格下』とはいえ、ホントにそうなのかよくわからない相手でした。しかも向こうはフル代表なのです。
正式なテストマッチ、NHKが、Eテレとはいえ地上波放送しました。普段ラグビーを見慣れていない人には、『このメンバーはNDS』と説明されてもその実力の違いはよくわかりません💦
もし負けたら、負けたら、、サッカー日本代表監督の如くボッコボコの大バッシング🔥🔥とまではいかないものの💦SNS上でそれなりにやられるだろうなあ😨😨
と不安は募るばかり。
試合前、タッキーとジェイミーはかなり長い時間話し込んでいました。その後はBK陣の練習に。
この試合、あくまでジェイミーはメンバー選考まで関与したものの、現場の采配は全てタッキーに、というのがJ Sportsでの説明でした。
『国際テストマッチを丸投げされる⁉️』
この少々乱暴なノルマに『勝利』という結果で応えられてとにかくホッとしました。
録画映像を見直すと、試合直後、勝利という結果に安堵されたとは思いますが、タッキーはニコリともしません。相当神経を使っていたのでしょうか。
最後の記念写真では、マスコミ向け写真なのに、1人マスクを取ることも忘れていました💦
この試合で、一旦NDSは解散しました。
しかし、既にうちの社長は『7月からチームは始動します』と鬼のような宣言を口にしました。
タッキーも既にアラフィーですから💦、流石にオフなしはキツいでしょう🥲🥲
どうぞ、ほんの数日でもゆっくりお休みになってください。
NDSのHC、本当にお疲れ様でした💐💐
(下掲写真 トンガ復興支援チャリティーマッチ後のインタビューに応えるタッキー)
(下掲写真 ラグビーマガジン 1992年12月号より抜粋 当時タッキー19歳)
♪愛する人や友達が 勇気づけてくれるよ そんな言葉抱きしめながら だけど最後の答えは 一人で見つけるのね めぐり続く 明日のために♪ (1992年リリース 今井美樹『PIECE OF WISH』より)
次回は、選手編です💐💐
(観戦記も書いています🙇♀️)