うつ病発症時の記録
私も両親も日本国由来のDNA です。
私の父親は私が幼い頃から
長子には実家が与えられるとご機嫌で幾たびも聞かせてきた。
自分には母国の日本にも、これまで歩いてきた国々のどこにも帰る場所がないのだと認識していた。
親は口癖の出て行けが
子供にどれほどの破壊力を持っていたか知らない。
https://twitter.com/snovthkin/status/1483610811822407683?s=21
自分も日本に帰国するまでは、日本はどの国よりも進んでいて、日本人は優しい、思いやりがあり、頭の賢い人達ばかりだと周囲の大人達に聞かされて、それを信じていました。
母国に大人になってから帰ってきて、改めて自分の親、日本に住む大人達を見て知って、愕然としましたね。🤣
https://twitter.com/snovthkin/status/1483003283178672130?s=21
自分は自分を日本人だと信じ、現地の子達に美しい日本、大人達から渡された資料を基に、今思うと古い情報の日本を紹介して回ってました。
日本にすごく憧れていました。
日本語訳の辞書で日本語を学ぶ異常に気づかず。
治療するまで素の自分が迷子でした。😅
自分はどの言語もボロボロのスカスカで、兄弟達から逃げてるので、身バレが怖いので詳しく話せなくて恐縮です。
自分のうつ病は高校最後あたりに発症しました。
ずっと故郷、母国に憧れていて、帰りたかった。
親の◯歳になったら日本に帰れる、という言葉を信じた。
でも引き伸ばされ続け、叶えられる事はなく。
もう日本に帰ることはない、このまま大学まで行き、日本以外で生きて金を返せと言われた時。自分を諦めた。
自分の命は、親のためにある。
あの時それがしっくりきて、もう自分の意志なんていらない、
このまま彼らの望み通りに卒業し、望む大学へ行けばいい。
ロボットみたいに生きることに決めた。
私の任務は体を動かすこと。
私の好きとか嫌いは必要無い。
親の望む姿と場所へ行くだけ。
すると視界の上半分が常に暗い
足取りが重い
涙が止まらない
でも自分は悲しくないのに
そういう状態になった。
親にお願いして寮付きの学校に行った。家事の時間が邪魔だった。
けれど休日は絶対に帰らないといけない。
一番初め私の異変に気づいたのは、当時飼ってたペットだった。
その時は当時家族で住んでた家の自室で、椅子に座り込んでいた。
19時過ぎに帰宅して、脱力して、体が動かせない。
視界の60%が暗かったのを覚えている。
ペットに構ってやる事ができないほど体が重かった。
ペットが悲痛な叫び声をあげるから、母親が来た。
母親は、だらだらしてないでよと言って去って行った。
夜中の3時まで動けなかった。
その後は記憶が途切れ途切れ。自力で病院を頼って、父親に金のことでしこたま殴られたが治療は受けられた。
現在治療中の皆さんが、どんなきっかけでなったかわからない。
けれどとてつもなく、大きな絶望の日々があったのだと思う。
誰かのために自分の人生の力と時間を捧げたのだと思う。
現在は、うつ病は敵じゃないと思う。
当時は、任務をこなせない体に八つ当たりした。
頭の中で何度も何度も。泣きながら。
でも体は足を動かすことを拒否した。
コップは触れるが、水差しが重くてうまく掴めなかった。
顔の色が緑や蛍光オレンジ色に見える。
自分の体さえ私を裏切る、と泣いた。
医師の話す言葉は釣り針のない、糸を見せられてるような、
全く感触のない問答の日々だった。
医者と喋る意味すらわからなかった。
この人は助けてくれないと思った。
偶々日本人のスタッフがいて、親に通訳した。
親は思春期によくあることですよ、と説明を受け、
私を演技してる嘘つき野郎と罵った。
その時日本人は敵だと初めて思った。
それまで日本人に会ってこなかった人生なので仕方ないと思う。
今は思わない。どの国の人間も変わらない。
そういうグループの人間だっただけ。
治療は箱庭療法と、ユング派とフロイト派・双方の見方による夢の分析。
夢は寝てる時に見る夢のことで、医師の指示通り書き溜めた。
医師から、結構日本人の患者が複数人来ていると聞かされた。
自分の視界に現れないだけで同じ国籍の人々は存在してるんだな、と思った。
うつ病で動けない間はひたすらゲームした。弟がこっそり貸してくれた。
親が日本の最新の文化を教えるためにと兄弟達に買い与えたものだ。
現地の金持ちの子供たちの間で日本のゲームや漫画が知れ渡りつつあったので仲間に入れた。
なので任天堂やソニー、ゲームを開発してくれた人々には感謝してる。
薬のおかげか、また動けるようになった。
親に日本に送還され、今に至る。
⋯長々と自分語り、失礼いたしました!🙇🙇🙇🙇🙇
帰国してから、海外にいた事を隠して日本人としてバイトしたりしていました.
上司が私が帰国子女だと従業員に言いふらした時、それまで仲良かった人達は距離を取り出し、挨拶に返事を返してくれなかった人達が集まってきました.
偽るといい結果になりません.