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節分の思い出

突然だが、あなたは人が恐怖で体を震わせている姿を、実際に見たことがあるだろうか。

 まず、体を震わせていると聞いて思い浮かぶのは、発熱による悪寒、緊張によるもの、痙攣けいれん発作、貧乏ゆすりが思い浮かぶ。
 マンガでは、体をガタガタいわせて恐怖に震えている描写は、いくらでも見たことはある。でも、実際それほどまでに恐怖する瞬間に遭遇そうぐうすることは、幸運なことに今までなかった。
 だから、マンガで感情を伝えるための一種の過剰な表現なのではないかと思っていたんだ。

あの日、あのとき、目にするまでは。

◇◇

 さて、私はとってもずぼらなので、季節の行事はよその家庭ほど一生懸命できていないと思う。 

 でも節分の豆まきは、比較的行っていた。
 まず、豆自体が好きなこと、恵方巻きもしかり。
 そして通常何かを撒き散らすというのは迷惑行為になると思うが、行事にかこつけて豆を外に内に撒き散らせる豆まきが、子ども心に楽しかった。

 しかし、当時のわが家には、鬼役を買ってでてくれる人がいなかったため、いつも姿の見えない鬼に向かってむなしく豆をぶつけていた。
 母は、心の中の鬼を追い出すのだからいいの
とは言っていたけれど、せっかくだから実際に鬼を退治してみたかった。

 そうして結婚し、子どもを持ち、さいわい鬼役を買ってでてくれる配偶者に恵まれたため、ついに念願の鬼退治のときを迎えられるかと期待した。
 まあでも、私ももう大人だ。あくまでも子供がメインの鬼退治なので、そんなに本気で豆をぶつけることはなく、恥ずかしいし。片付けることを考えると撒き方もどうしたって控えめになる。
 したがって鬼を退治した気持ちにはあまりなれなかった。
現実はそう、うまくいかないものだ。

 更に子どもはだいたい保育園でにぎやかな豆まきを堪能たんのうして帰ってくるため、自宅の豆まきは二番煎じ、興奮も盛り上がりもやや欠けていた。

 娘が小さい時はそれでもワーキャー言いながら豆まきを楽しんでいた。
 明らかに顔だけ鬼のお面を被っていて、まさか鬼だと思うわけもない。
 顔が見えないことに怖がりながらも、豆を数回ぶつけるという王道の豆まきを楽しんだ。

 問題は息子だ。
 保育園でも始め2年は泣いていただけだったと聞いた。小さいので仕方ないことではある。
 男はどうとか今の時代にそぐわないかもしれないが、3歳といったらそろそろヒーローに憧れる頃。勇ましく鬼に立ち向かうかっこいい姿を見てみたい。
 そして、まず豆まきを楽しんでもらいたかった。

◇◇

 そうして迎えた節分の日
 撒く豆を持ちやすいように、3人分のマグカップに分けながら
「がんばろうね。みんなで力を合わせて鬼をやっつけようね」
「鬼は豆が嫌いだから、あっちいけーって大きな声で言って投げるんだよ」
「ママとお姉ちゃんを守ってね」
とか言って息子を勇気づけた。

 今回は保育園の豆まきでも泣かないで少し勇気を出せたらしい、少し自信がついた気がしたのか、息子は うん と頷いた。
 保育園で作った鬼のお面をつけてにこにこである。

 鬼退治、果たせるのだろうか…

 廊下に通じる戸が空き、隙間から鬼のお面だけ見えるように鬼役が顔をのぞかせた。
 首から下はいつもの服装なので、見えないように顔だけのぞかせているらしい。夫も鬼らしく見えるように考えたようだ。
 今年は本気だな。

 引き戸の近くに偶然いた息子は、突如とつじょ現れた鬼の姿を見て固まっている。泣いてしまうだろうか。
 息子のななめ後ろにいた私は、素早く息子用のマグカップを差し出し
「ほら、あっちいけー!って豆投げるんだよ。がんばれ!」
 そういいながら、少し豆をまいて見せる。
 お姉ちゃんである娘も鬼に向かって豆を投げて見せる。

 肝心の息子はといえば、そんな私のことは一切振り返れず顔は鬼に釘付け。
 差し出したマグカップも受け取れず、私に息子用の持たせたまま、息子はカップの中から豆をつかみ取り、無言で繰り返しなげつけている…

 その時に気がついた。
…あれ?息子の体がすごく小刻みに動いてる?
 息子の体はガタガタと音をたてそうなくらい震えていた。
 声は出さず、機械的に右手が豆を握っては投げ、握っては投げを必死に繰り返している。

え?震えてるの?どうしよう、こんなに怖がるとは思わなかった。

 この状況は完全に想定外で、私は動揺していた。
 私の前に立ち、必死に豆を投げつけている息子が、恐怖で動けないのか、守ろうとしているのか、わからなかった。
これは、やめるべきか、否か

 そう考えている間にも、ものすごいハイペースで豆を投げつけているため、早々に息子の分の豆はなくなってしまった。
どうする?
 息子の指が空のマグカップの中を必死に豆を探し求めて彷徨さまよっている。

豆だ。豆を与えないと。

 私も娘も何も言えず、この悲惨な状況に笑うこともできず、必死に豆を探す息子の空のマグカップの中に、慌てて自分たちの分の豆を補充する。

 豆を得て、再び豆投げマシーンのように高速で豆を撒き散らしている。
ずっと体はガクガクと震えたままだ。

「がんばれ」
「がんばって」
小さな声でそう言うしかなかった。
大きな声を出したら、何かが破裂してしまいそうな緊張感がそこにはあった。

 鬼役もどうしていいかわからず、引き戸のあたりを出たり、入ったりと中々いなくなってくれない。あちらも想定外の状況に、困惑しているようだ。
 でもできたら早く立ち去ってほしかった。

 そうしている間に、とうとうすべての豆がなくなってしまった。
 息子のなおも彷徨さまよう指を感じながら私は
「…豆もうないよ…」
 そう言うと、息子はわっと弾かれたように大きな声で泣いて私に抱きついてきた。
 心の命綱であった豆を失い、心が折れてしまったようだ。

がんばった。よくがんばった。

 恐怖で動けなかっただけかもしれないが、私には鬼と必死に戦う姿に見えた。でも、こんなに小さなうちからこんなに怖がらせてごめん。

 鬼もその泣き声のどさくさに紛れて、立ち去っていった。
 娘も床に散らばった豆をかき集めて鬼を追い出す様を装ってくれた。

 私達の悲惨な豆まきは、こうして勝利とも敗北とも言えない状態で幕を閉じた。

 鬼のお面はしまい込み、翌年以降の豆まきは鬼役の顔出しの上、当たり障りのない感じで行う年もあったし、鬼役の仕事の都合で開催されない年もあった。
 段々と豆まきを楽しめない、楽しんではいけない気分になってしまったので、買う豆も食べる用として最低限の量が入っている小さい袋を買うようになった。

◇◇

「ママみて!学校で鬼のお面つくった」

 ある日学童保育に迎えに行くと、息子の手には赤・オレンジ・緑・白の複雑に絡まり合う中南米あたりのお土産屋にありそうな、派手な色合いのお面がが手に握られていた。

これが鬼のお面なのか?そうか。
「斬新なお面だね」
「友だちのはね、もーっとすごいんだよ!」
 興奮した様子で、どうやって作ったか、何を材料にしたか、他の人はどんなのを作ったか話をしている。楽しかったようだ。

「ねママ、そういえば、うちに鬼のお面ってまだあったっけ?」
「引っ越しのときに処分したっきりで、もうずっと見てないからないと思うよ」
「ふ〜ん。じゃあさ、豆まきの鬼のお面これね」

 え?突如舞い降りた鬼退治のお誘いに、私はびっくりした。
 もう豆まきなんてしないと思ったから、鬼のお面は処分したし、今年用意した豆も一番小さい袋だった。

 息子もあの豆まきから5年たち、たくましくなったのかもしれない。久しぶりの豆まきになんだかワクワクしてきた。

「鬼役やる?」
「やだ、僕は豆投げたい」

 豆だ、豆だ、鬼退治だ。急いで豆を追加で買いに行かないと。
 今年こそは念願のあの鬼退治ができるかもしれないな。

 いざゆかん鬼退治へ


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くいたろう
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